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The Knowing Way Japan(旧Gary Bonnel Japan)認定インストラクター&プロフェッショナルアカシックリーダー中島志保のブログです

旧約聖書

主の栄光が神殿を去る

旧約聖書 エゼキエル書 第10章

主の栄光が神殿を去る

わたしが見ていると、ケルビムの頭上の大空の上に、サファイアの石のようで、形は王座のように見えるものがあるではないか。それはケルビムの上に見えた。主は亜麻布をまとった者に向かって言われた。「ケルビムの下の回転するものの間に入れ。そして、ケルビムの間にある燃える炭火を両手に満たし、それを都の上にまき散らせ」と。彼は、わたしの目の前で入って行った。その人が入って行ったとき、ケルビムは神殿の南側に止まっており、雲が中庭を満たしていた。主の栄光はケルビムの上から立ち上がり、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、ケルビムの翼の羽ばたく音は外庭にまで聞こえ、全能の神が語られる御声のようであった。主が亜麻布をまとった人に命じて、「火を、回転するものの間、ケルビムの間から取れ」と言われたので、彼は来て、車輪の傍らに立った。

すると、ケルビムのひとりが、手をケルビムの間から、ケルビムの間にある火に向かって伸ばして火を取り上げ、亜麻布をまとった者の両手に置いた。その人は火を受け取って、出ていった。

ケルビムには、その翼の下に、人間の手の形が見えていた。わたしが見ていると、四つの車輪が、ケルビムの傍らにあるではないか。一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らに、また一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らにというように、それぞれの傍らにあって、それらの車輪の有様は緑柱石(りょくちゅうせき)のように輝いていた。それぞれの形の有様は、四つとも同じで、一つの車輪がもう一つの車輪の中にあるかのようであった。それらが移動するときは、四つの方向に進み、移動するときに、向きを変えることはなかった。先頭のケルビムが向かうところに他のものも従って進み、向きを変えなかったからである。ケルビムの全身、すなわち、背中、両手、翼と、車輪にはその周囲一面に目がつけられていた。ケルビムの車輪は四つともそうであった。それらの車輪は「回転するもの」と呼ばれているのが、私の耳には聞こえた。ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、第四の顔は鷲の顔であった。

ケルビムは上った。これがケバル川のほとりでわたしが見たあの生き物である。ケルビムが移動するとき、車輪もその傍らを進み、ケルビムが翼を広げて地上から上るとき、車輪もその傍らを離れて回ることはなかった。ケルビムが止まると、車輪も止まり、ケルビムが上ると、車輪も共に上った。生き物の霊がその中にあったからである。

主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。これがケバル川の河畔で、わたしがイスラエルの神のもとにいるのを見たあの生き物である。わたしは、それがケルビムであることを知った。そのそれぞれに四つの顔と四つの翼があり、翼の下には人間の手の形をしたものがあった。これらの顔の形は、まさしく、わたしがケバル川の河畔で見た顔であった。それらは同じような有様をしており、おのおのまっすぐに進んで行った。


宇宙


記事更新日:2024/07/14

エゼキエルの召命

旧約聖書 エゼキエル書 第1章

エゼキエルの召命

第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった。カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。

わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。

脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。

顔はそのようになっていた。翼は上に向かって広げられ、二つは互いに触れ合い、ほかの二つは体を覆っていた。それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせるところへ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。生き物の姿、彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた。火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。そして生き物もまた、稲妻の光るように出たり戻ったりしていた。

わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。

それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。車輪の外枠は高く、恐ろしかった。車輪の外枠には、四つとも周囲一面に目がつけられていた。

生き物が移動するとき、傍らの車輪も進み、生き物が地上から引き上げられるとき、車輪も引き上げられた。それらは霊が行かせる方向に、霊が行かせる所にはどこにでも進み、車輪もまた、共に引き上げられた。生き物の霊が、車輪の中にあったからである。

生き物が進むときは車輪も進み、生き物が止まるときには車輪も止まった。また、生き物が地上から引き上げられるとき、車輪も共に引き上げられた。生き物の霊が、車輪の中にあったからである。

生き物の頭上には、恐れを呼び起こす、水晶のように輝く大空のようなものがあった。それは生き物の頭上に高く広がっていた。大空の下では、生き物の一対の翼がまっすぐに伸びて互いに触れ合い、他の一対の翼がまっすぐに伸びて互いに触れ合い、他の一対の翼が体を覆っていた。すなわち、それぞれの一対の翼が彼らの体を覆っていた。それらが移動するとき、翼の羽ばたく音をわたしは聞いたが、それは大水の音のように、全能なる神の御声のように聴こえ、また、陣営のどよめきのようにも聞こえた。それらが止まっているとき、翼は垂れていた。生き物の頭上にある大空から音が響いた。それらが止まっているとき、翼は垂れていた。

生き物の頭上にある大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。腰のように見えるところから上は、琥珀金が輝いているようにわたしには見えた。それは周りに燃えひろがる火のように見えた。腰のように見えるところから下は、火のように見え、周囲に光を放っていた。周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、私はその声を聞いた。


火星


記事更新日:2024/07/14

ハムの子孫とニムロドの呪い

1.ノアの子孫とニムロドの呪い

ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。クシュの子孫は、セバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカであり、ラマの子孫は、シェバとデダンであった。クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人のニムロドのようだ」という言い方がある。彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。
(旧約聖書「創世記」第10章 第6-10節)

荒野



2.ニムロドについて
ニムロドとはヘブライ語で「われわれは反逆する」を意味する。ニムロドはその名前をもって、自分が神に対する反逆者であることを示している。

ニムロドは、バビロンの王となって都市をつくります。その際、建物には天然の石ではなく人工の煉瓦を、塗装には漆喰を使わず瀝青(れきせい=アスファルト)を、すべて自然ではない材料を用いました。また、天に届くほどの高い塔を立てて神の怒りを買います。都市の建設を断念させられました。これが有名なバベルの塔という神話です。このことからニムロドはサタンのシンボルになり、魔術で使われるシンボル「X」で表されます。クリスマスが Xmas と記されるのはニムロドを祝う祭典だからであり、12月25日はニムロドの誕生日として祝わされています。


記事更新日:2024/05/05

旧約聖書とユダヤ人の歴史

■紀元前20世紀~15世紀

契約と割礼
アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。

「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。

わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる」
旧約聖書「創世記」(第17章・第1~8節)

アブラハムが神との契約で約束されたカナンの土地は、エジプトの川からユーフラテスの川までの領域とされ、現在のイスラエルとヨルダン川西岸地区全域になります。


聖書時代(紀元前17世紀~6世紀)
紀元前17世紀頃、ユダヤ民族の族長であるアブラハムイサクヤコブがイスラエルの地カナンに定住しますが、飢饉により、イスラエルの民はカナンから離れ、エジプトへの移住を余儀なくされます。イスラエルの民はエジプトで奴隷のような生活を強いられたことから、紀元前13世紀頃、イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ砂漠を40年間放浪しました。その間にモーセはシナイ山でヤハウェの神から十戒を授かります。その後、イスラエルの民はイスラエルに定住します。そして紀元前1000年頃にイスラエル王国が誕生します。

 古代イスラエル初代王サウル(紀元前1000年頃)
 
 古代イスラエル第二代王ダビデ(在位:紀元前1000年~961年)
  ⇒首都をエルサレムとする。

 古代イスラエル第三代王ソロモン(在位:紀元前971年~931年)
  ⇒エルサレム神殿が建設される。

紀元前931年にイスラエル王国は南北に分裂し、北はイスラエル王国、南はユダ王国になり、エルサレムはユダ王国の都となります。その後、紀元前722年~720年にかけて、イスラエル王国がアッシリアとの戦いに敗れ、10部族がイスラエル王国から追放されます。これを失われた10部族といいます。紀元前586年には、ユダ王国がバビロニア(現在のイラク)によって征服され、エルサレムは陥落し、大半のユダヤ人が捕虜としてバビロニアに連行されました。これをバビロニア捕囚といいます。

 ※紀元前660年:初代神武天皇の即位(日本)


第二神殿時代

バビロニア捕囚から約50年後の紀元前538年頃からは、多数のユダヤ人が解放され、帰還し、神殿を再建します。


ローマ支配
紀元前63年、ローマ軍司令官ポンペイがエルサレムを占拠し、エルサレムはローマ帝国の属領となりました。その後、ユダヤ人が反乱を起こし、二度にわたってユダヤ戦争が起こりました。しかし、ローマ軍が制圧し、ユダヤ人はエルサレムでの居住を禁じられました。こうして、ローマ帝国に滅ぼされ故郷を失ったユダヤ人たちは、ヨーロッパを中心とした各地に離散していきました。

西暦とは、キリスト教で救世主とみなされるイエス・キリストが生まれたとされる年を元年(紀元)とする紀年法と、イエス・キリストがユダヤ人として割礼を受けた日を紀元1年1月1日とする紀年法があります。西暦は、「主(イエス・キリスト)」の年」を意味するラテン語 Anno Domini を略して A.D. または AD と表記されます。このことから、イエス・キリストが活躍したのは AD30年ということになります。

ユダヤ人のように、もともと暮らしていた国家や居住地から離散して生きる人々や集団をディアスポラといいます。離散した多くのユダヤ人は、中東から近い東欧やロシア、ドイツに逃げました。一般的に、イタリア、スペインなどの南欧、トルコ、アフリカに移った人々はセファルディム系ユダヤ人、ドイツ語圏、東欧諸国に定住した人々はアシュケナジー系ユダヤ人といわれます。

ヨーロッパからユダヤ人排斥を始めたのはローマ・カトリック教会の教皇です。ヒトラーが行ったユダヤ人排斥の行為は、13世紀にローマ教皇がしたことを20世紀に再現したものです。ヨーロッパでは、ユダヤ人に対する差別が中世から続いてきました。理由として、以下のような点が考えられます。

1.イエス・キリストを処刑したのはユダヤ人であり、かつ、パレスチナでキリスト教徒が厳しく弾圧されていたこと。

2.キリスト教徒が宗教的に従事できない「金融」に、流民のため職業上の差別を受けていたユダヤ人たちが目をつけ、金融を仕事にすることで裕福になったこと。

3.ユダヤ教の戒律が厳しく、かつ選民思想を持つこと。


ローマ帝国初期のキリスト教は、厳しい迫害の対象となっていました。暴君ネロによる迫害はよく知られています。

ところがその後、キリスト教信者が増加したのを受けて、ローマ帝国は392年にキリスト教を国教とし、それ以外の宗教を禁止しました。ただし、この時期におけるキリスト教は「新興宗教」とみなされていたこともあり、ユダヤ教が厳しく弾圧されていたわけではありません。

ユダヤ人の排斥運動が激化したのは19世紀から20世紀初めにかけてです。帝政ロシアやドイツで、ユダヤ人に対する集団的迫害(ボクロム)が広範囲に行われました。こうした反ユダヤ主義をきっかけに、19世紀後半以降、故郷であるエルサレムに国家を再建しようとする動きシオニズムが起こり、多くのユダヤ人がパレスチナに移住するようになりました。

第一次世界大戦後の1917年、パレスチナはイギリスの統治下になり、イギリスの政治家アーサー・バルフォアはユダヤ人の移住地の建設を約束しました(バルフォア宣言)。しかしこれと同時期に、イギリスの高等弁務官マクマホンがアラブ人の指導者フサインと密かに協定を結び、オスマン帝国の支配下にあったアラブ人(イスラム教)のパレスチナ移住を進めました(フサイン=マクマホン協定)。イギリスのこの二枚舌外交が、いまのパレスチナ問題を引き起こしました。このあとイギリスは、パレスチナから離れ、これらの問題を国連に委ねました。

ユダヤ人はバルフォア宣言に基づき、1920年頃からパレスチナへの入植を開始しており、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによる大量虐殺(ホロコースト)がはじまると、さらに多くのユダヤ人がパレスチナに押しかけた。当然、パレスチナのアラブ人はこれに猛反発。各地で武力衝突やテロ活動が起こった。

 そして第二次世界大戦終了後の1947年、イギリスがこの問題から逃げてパレスチナの委任統治を返上したため、国連はパレスチナをユダヤ独立国とアラブ独立国に分割すること(パレスチナ分割決議)で解決しようとしたが、アラブ人は国連の決議を受け入れない。パレスチナが内戦状態となるなか、ユダヤ人は1948年にイスラエルの建国を宣言した。



このよに、中世から近代、現代を通じて厳しく迫害されたユダヤ人は20世紀に入り、パレスチナにイスラエルを建国しました。これが、今なお続く激しい中東紛争を生み出したのです。


三種の神器


記事更新日:2024/05/23
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