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The Knowing Way Japan(旧Gary Bonnel Japan)認定インストラクター&プロフェッショナルアカシックリーダー中島志保のブログです

平田篤胤

国学者平田篤胤と天の磐笛

縄文時代の遺跡から発掘され、能(申楽)で用いられる横笛である能管に継承された石笛は、平田篤胤によって再発見され、やがて神道の儀礼の中で重要視されていきます。

文化十三年(1816年)五月、平田篤胤は鹿島神宮と香取神宮の両宮を参拝し、そのあと玉ヶ崎明神と猿田神社、妙見宮、八幡宮に詣でました。そして、最後に訪れた八幡宮で石笛を発見しました。八幡宮に詣でたとき、社殿の脇の横に草で覆われ埋もれている石が見えました。篤胤はその石を一目見たとき、これこそ天の磐笛という天の声がしたように思い、手にとって吹き鳴らしてみると、その音は「いともめでたく」「ほら貝石」の音にも似ていたとされています。

篤胤は、この石笛は神より賜ったものと受け止めたものの、神の社にある石ゆえ、みだりに持ち帰ることはできません。そこで、鹿の肩骨を取り出して古代の占い法である太兆(ふとまに)を行い、神の御心を問うと、宇気比(うけひ)の結果は「猿田彦神の賜いしもの」と出ました。そこで八幡宮の別当寺の法師の承諾を得て、銚子から船に乗せて江戸に持ち帰り、自宅の神棚の前に捧げ置き、毎朝の神拝の際に必ず吹き鳴らしたそうです。現在この石笛は、東京の代々木にある平田神社に御神宝として保管されています。
篤胤は石笛を、大国主神と並ぶ国つ神の代表神である猿田彦大神の賜いしものとしました。篤胤による天の磐笛の発見により、言霊と音霊が結びつきました。


平田篤胤



記事更新日:2025/05/13

国学者平田篤胤の生涯

1.平田篤胤の生涯

近代の霊学の基礎を提供したともいえる平田篤胤は、安永5年(1776年)、出和の国(現在の秋田県)秋田郡の久保田城下にて秋田藩士の四男として生まれる。8歳で儒学、11歳で医学を学ぶ。寛政7年(1795年)20歳で脱藩し、江戸へ向かう。享和1年(1801年)、26歳の時、本居宣長の著作を読み、国学を学ぶことを決心し、文化元年(1804年)、29歳で江戸に国学の門戸を構える。天保14年(1843年)逝去。


平田篤胤



2.平田篤胤のおもな著作

◎平田篤胤の言霊論として取り上げるべき著作:
 ・古史徴(こしちょう)…古伝資料研究 
 ・神字日文伝(かんなひふみのつたへ)…神代文字
 ・古史本辞経(こしほんじきょう)…音義説

◎平田篤胤の言語論の論題:
 ・文字論…神世文字(かみよもじ)について
 ・音声論…音義説について
 ・言霊神論…言霊のはたらきを司る神々について



3.平田篤胤の姿勢

◎神的世界、顕幽両界のしくみ、霊的自己の探求。
 ❶神代の真の古伝(かみよのまことのこでん)を選定すること。
 ❷霊の真柱(たまのみはしら)
  ⇒霊魂の行方と安定(しずまり)⇒大倭心(やまとごごろ)の確立

❶と❷の二つのパラレルな学問的作業は、みずからの魂探し、すなわちスピリチュアル・アイデンティティ・シーキング(霊的自己探求)であったともいえよう。その意味で、この作業は、「汝自身を知れ」という哲学の根本課題に答えんとする果敢な実践行為であったといえよう。神的世界の探求、顕幽両界のしくみ、自己の霊性(神的本質)の認識、篤胤が求めていたものはまさに霊的認識、グノーシスであり、その営みは日本のグノーシス主義と呼べるものであろう。ここで確認しておきたいもっとも大切な点は、こうした篤胤の学的営為が内的体験もしくは内的覚醒を通して自己審神者(さにわ)化のプロセスをたどる「霊学」の核心に触れているということである。平田学の一つの徹底的な展開として「霊学」というスタイルが生み出しされる原基がここにある。(鎌田東二)


◎神世文字の探求。
 ❶祝詞、太祝詞(ふとのり)は神世文字で書かれていたと推断する。
 ❷神代の真の古伝は、口頭伝承と特殊文字伝承(神世文字)によって正しく伝えられる。

平田篤胤は、加茂真淵、本居宣長にはみられない驚くべき推断を下している。つまり、重き祝詞の属(タグヒ)ないし太祝詞(フトノリ)は神代文字で書かれていたに違いないというのである。この最上の伝えが正しく伝えられているのは、口頭伝承のみならす、神世文字という特殊な文字伝承があったがためだというのである。篤胤の透視したヴィジョンにおいては、真の古伝と神代文字とが結びつき、神々しい権威と正統性をみずから顕わにしているのである。彼は神々のエクリチュール(書記言語)の存在をあらんかりぎの渾身の力をふりしぼって証明しようと長年月を費やしている。(鎌田東二)



4.平田篤胤の神世文字論


◎神代の字(ナ)とは何か。
 ・和漢両方の文字で記されたもののうち、和字(ヤマトモジ)が神代の字(ナ)である。

◎和字(ヤマトモジ)の起源は卜事(ウラワザ)にある。
 ・八意志兼神(やごころおもひかね)が始めた鹿卜の太兆(フトマニ)に由来する。
 ・神世の文字は太兆の験体(しるしがた)より出たもの。

「太兆(フトマニ)とは、鹿の肩骨を灼(ヤキ)て、その火灼(ヒサキ)の兆文(カタ)によりて、測(シリ)がたき神の御心(ミウラ)を、見知り弁(ワキマ)ふ態(ワザ)である。」…この兆文が心(ウラ)の象(シルシ)となり、その象(シルシ)がやがて文字の原(モト)となった。

太兆(フトマニ)
太兆


◎神代文字は、二種類の文字がある。
 ❶象形(カタ)文字…事物の象形(カタチ)である真字(マナ)。
 ❷仮名(カナ)文字…口に出る音(コエ)の印(シルシ)となるもの。

◎梵字は日本の古伝が原型(モト)である。
 ・インドの梵天王という神名は、日本の別天神が天竺に伝わったもの。
 ・インドの語音や文字の起こりも神の伝えであり、梵字もしくは梵音という。

◎空海のいろは文字は、神代文字の書風と漢字の草書体がミックスされたもの。

上古にあっては神世の仮名をもってものごとを書き記していたが、漢字が伝来したのちはこの神世文字と同音の漢字を拾って記し始めた。しかし、漢字のいかめしさがわが皇国の麗美しき書風(てぶり)に合わないために、その字はごく自然に優美でなだらかになり、雲や煙のような「草書」風に変化し、その草書を用いて、のちに空海が「以呂波(いろは)字」をつくったこと。そ5ゆえ漢字の草書体を神世文字の書風に合わせて作った文字が「いろは文字」であり、かくの如く神世文字が元であること。

◎祝詞や歌などは神世文字に記されて、誤まりなく伝えられた。

◎漢字が伝来したあと、神世文字が廃れていった。
 ・最初は、漢字の音を取り入れ、仮名書きと併用するようになった。
 ・次第に、漢字の義理(ココロ)を取り入れ、用いるようになった。



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