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The Knowing Way Japan(旧Gary Bonnel Japan)認定インストラクター&プロフェッショナルアカシックリーダー中島志保のブログです

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フトマニノミタマ(布斗麻邇の御灵)

布斗麻邇の御灵は、天地自然の神にして、自邇(ジニ)なる神の教へなる事を説。さて、其と云は、目に見えさるの水火を神(火水)と云、目に見ゆるの火水を、是をヒミヅとも、ヒトとも号(なづ)くる也。其(その)目に見えさるのを、目に見せしむるの教えは、此御灵の形也。一円形にして、八に割(さき)わかれて、一けた毎に五十言の五字一行を書て合するときは、一円の灵となり、開くときは大八嶋の形となる。是を、と号(なづく)る。然るに、今此御灵の神宝をは、何れの処にか鎮坐し玉ふや。答て云く。丹波国桑田郡上佐伯村、御灵大明神是(これ)也。年々七月十四日、神事にして、禁裡御所より御献燈これあり。

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又、下佐伯村に稗田八幡宮有(あり)。是は、彼(かの)古事記を書故を以(もて)、阿礼か灵を此(ここ)に祭り玉ふ。其外、大阪生玉明神、是等(これら)はいまた志道の拝せさる処也。次に、名を解(とか)は、先(まづ)布斗麻邇の名の出る所は、古事記神代巻に一、二ヶ所あり。初めに、イサナキ、イサナミの二柱の神、みとのまくはいし玉ふ所に、天つ神に申し玉ひて、布斗麻邇の御灵に占(ウラ)へての玉ふと云事有。又、押穂耳(ヲシホニ)の尊、此国に下り玉ふ時、諸(もろもろ)の神の臣達添て降らるゝ時、天津小屋根の尊は神業の元(モト)を能(よく)しれりとて、布斗麻邇の占(ウラヘ)ことを以(もて)、つかへて降り玉ふとあり。今一ヶ所、中巻三十九右、伊久米伊理毘古(イクメイリヒコ)、伊佐知(イサチ)の命、沙本毘売(サホヒメ)の命、娶合(ミアヒ)有て、王本牟知和氣(ミコホムチワケ)の命を産。是(この)御子、八拳鬚(ヤツカヒケ)心前(むなさき)に至るまで、真事(まこと)とはす。かれ、ここに高行(たかゆく)鵠(カサヽキ)の言をきゝ、初めてあきとひし玉ふへき。其鳥もちて奉りき。其鳥を見玉へは、ものいはんとおもほして、おもほすか如くいひ玉ふことなかりき。こゝに、すめらかみと憂ひ玉ひて、み子(ね)ませるとき、夢にさとしたまはり、あかみやをおふきみのみあらかのこと作り玉はゝ、みこ必(かならず)まこととはん。こゝに、すめらかみと憂ひ玉ひて、み子(ね)ませるとき、夢にさとしたまはり、あかみやをおふきみのみあらかのこと作り玉はゝ、みこ必(かならず)まこととはん。かくさとし玉ふとき、ふとまにの御灵にうらへて、うつけかみのみこゝろそともとむるに、そのたゝりは、いつものおほかみのみこゝろなりき、等とあり。しかれは、天津児屋根の命とは、布斗麻邇の占(ウラ)へことを宰とる役をもて、藤原氏の祖にして、水火の伝への御先祖なり。

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然れは、布斗麻邇の御灵は、万物のおこりをはりの神業を知の御灵なること明也。水火は即、天地の躰のいき也。万物の主のいきなり。天地のいき順還する時は、国土安穏也。呼吸の息順還するときは、其人病なし。其息の動くに随ふて、自然に音を発す。是即、五列十行の五十言也。五十言と差別(ケチメ)するは、いき開合する故也。今、此布斗麻邇の御灵は、いき開合の根元を知(しる)の神宝ゆへに、此御灵を以(もて)推量るときは、儒仏はさら也、天地の間に教ふへき道に響かさる事なし。文字(フミ)なき時の教へなれは、更に文字に依(よら)ねとも、天より是を見る如く、地より是を聞如く、彼に闇(くら)く、是に明なりと云(いふ)差別(ケチメ)なし。是、人の教にあらす。人の業にあらす。神業にして、神の学ひなる故也。彼(カレ)に明なれとも、是に闇しと云は、文字(フミ)に依(よら)されは知す、依所(よりどころ)なけれは明ならすと。是と彼とを見合せて、押量るものは、人の業、人の学ひたる故也。今、仰いて以(もて)みれは、布斗麻邇の占(ウラ)へことは、久堅の天にしては、イサナキ、イサナミの御代に始まり、あらかねの地にしては、天津児屋根の尊、是を宰とる。然るに、人の代なりては、布斗麻邇の御名を知人(しるひと)も稀(まれ)也しか、此度杉菴志道、御灵の理(ことはり)を悟りて、万物の理を尽す故に、神代の学ひと云(いふ)を学へり。

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右を勅許ありしも、宜(むべ)なるかな。時に、御灵の名義は、布斗麻邇のは吹くこと。は與むこと。はまとかのこと。は水火の二つのこと。右の心は、火ふきて、水にくみて、まとかにいきこると云御名也。水火陰陽與合(クミアヒ)しを、教ふるの御名也。又、フトの反マニの反は正火の火の灵にして、は水中の水の灵也。即、火水の形を顕はすの御灵なる事を顕すの御名也。又、布斗麻邇の御名を、数(カス)の御伝へに会するとき、ヒフミヨイムナの七言、是(これ)自(おのづから)数(カス)の御灵と、其理(ことはり)自然と契当する也。先(まづ)ヒフミヨ。是は御灵ては、布斗(フト)の事也。イムナとは、御灵てはマニの事。それは如何と云に、ヒフミヨとは、は火也。は吹こと也。は水也。は與事。是、火を吹て水に與(クム)と云こと。員(カス)の御灵ては、ヒフミヨと云教へ也。

斗麻邇の御名を、数(カス)の御伝へに会するとき、ヒフミヨイムナの七言、是(これ)自(おのづから)数(カス)の御灵と、其理(ことはり)自然と契当する也。先(まづ)ヒフミヨ。是は御灵ては、布斗(フト)の事也。イムナとは、御灵てはマニの事。それは如何と云に、ヒフミヨとは、は火也。は吹こと也。は水也。は與事。是、火を吹て水に與(クム)と云こと。員(カス)の御灵ては、ヒフミヨと云教へ也。イムナと云は、イキのこと。ムツムこと。は幷(なら)ふことにして、即(すなはち)火吹て、水に與(クミ)、いきむつみならぶと云ことなれは、即布斗麻邇(フトマニ)の御灵の四言の御名を、七言に開きたる也。同く、いきの離合(クミハナレ)を教ふる御名也。御灵と数の御伝へとは、唯(ただ)開合の異なるのみ。先(まづ)、一粒の籾(モミ)、自(オノツカラ)春になると籾の胎内に火ふき、ふくれて夏になり、苗代に蒔て水に浸すか、是(これ)火水與(クム)所也。

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是、與(クム)の始め也。又、員(かす)の御伝ては、ヒフミヨの四言に当る月に配しては、正月より四月なり。それより、正しく随かひて、地に與(クム)か水火(イキ)のむつむ所也。員の御伝ては、五六(イム)に当る。月に当れは、五月、六月に当る。それより、弥(いよいよ)いきむつみて花開(サキ)幷(ナラ)ふか、員の御伝へては七()に当たる。月に配すれば七月に当る。七月は、一切の万物始めて実を結ひ始むる時也。二つのいき、始めて一つのホチ)の中に入なり。故に、七月七日に星合する。是(これ)、空に星と云者(いふもの)別に有て、相逢と云事には非す。ホシと云ことを解は、は正火の灵。は昇水の水の灵也。六月まては、陽の火盛りにして、七月に至り、始めて陰の水氣に與(クミ)凝(こ)りて、土一つになるをホシ(星)と云。又、七夕(タナハタ)と云は灵也。は幷ふ也。は火水(イキ)の二つのこと。は列なること。二つの火水(イキ)の灵、幷ひつらなると云詞(ことば)にして、水火(イキ)の二つに與(クミ)て、竟にホチ)になる所をと云。幷ふと云こと、水は女、火は男、一夜の契(ちぎ)り也。終りた所に寄(よせ)て、設けた祭也。実は形なきを、形ある物に寄て設けて祭る也。自然のホチ)より天地開け、天地和合して、万物を生する理を顕はして、即(すなはち)天地を祭る也。人は小天地なり。小を以(もて)大を知(しら)しむる祭りにして、必しも私に祭るとは惑ふへからす。又(また)生れての後(のち)七夜を祝ひ、又(また)七歳を祝ひ、正月の七日七草、七月の七日は秋の七夕也。其(その)春の七草の言を解は、は與(クム)こと、は少なき也。

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万物のイキ(火水)、與(クミ)そめの兆しを祝(イワフ)の名也。七夕は、既(すでに)とく。知へし。如此(かのごとく)名をなして、万物のみのりの数は、七つの数に極まる也。故に、七草はイキの與(クミ)そめ也。七つの数を以(もて)與(クミ)そめ、與(クミ)終りを顕はすゆへ、今此(この)布斗麻邇の御灵の名は、ヒフミヨイムナヤの七つの員(かず)に充(アテ)て、陰陽(イキ)與(くみ)て万物を生する事を教ふることの神宝故に、神代の巻には、彼二柱の神ミトノマクハイし玉ふ時に、イキ與(クム)の法(ノリ)をたかひて、女神よりアナニヤシエヲトコヲとの玉ふゆへに、ミコふさわず。ミコとは、水の凝也。これ、ヲミナ(女)の水、ヲトコの火に先たちしゆへ也。故に、天つ神申して、布斗麻邇にうらへて其法則(ノリ)改めて、先(まづ)男の火、水に入か故に、目出度(めでたく)国を産玉へり。国の詞は、クニの反也。は影の火の灵にして、火を産玉へりと云こと也。是フトマニとは、火ふくれふきて、水に與(クム)と云教へなる故也。水より火に與(クム)にあらす。火より水に與(クミ)て、万物起さしむるの御名也。一切諸(もろもろ)、この法則に違(タガ)ふ時は物ならす。君臣父子夫婦兄弟、皆(みな)火水のいきの理也。君臣即(すなはち)火水の理、乃至(ないし)子孫又(また)父子にして、火水の理也。君臣火水の理に違(たが)ふときは、国不治。父子夫婦兄弟、同しく理に違(たが)ふ時は、家不治。皆、布斗麻邇の御灵に占(うら)へさるの故也。今、此五列十行の音も、水火離合動静によりて出る所の音の故に、此布斗麻邇の御灵に占へるときは、言々の根本を尽し、万物の音、何れのイキなること知れず云ことなし。

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問曰。神代の巻の布斗麻邇の御灵と、今(いま)志道か家に崇めて伝へる御灵と同しきや、異なりや。答曰。意味深趣あり。曰、一にあらす、異にあらす。神代の巻の布斗麻邇の御灵と称するは、今志道か家に崇むる御灵の如き形をなしたる物にあらす。直に、天地陰陽の火水のイキの理をさして、御灵と号(なず)け玉ふ。即、上に云(いふ)御灵の開合、即(すなはち)離合動静にして、万物を生するの理にして、形ありて目に見る物にあらす。然れは、是を見聞ものは、千早振神の業にして、今人の代となりては、天地(イキ)万物を生するの理はあれとも、たゞ天地(カミ)のみ是を聞玉ふ。人は唯(ただ)、神の御伝へを聞て信するのみ。凡(おおよそ)人々を見ることあたはさるの神秘を、形をかりて見せ玉ふか、志道の家に伝はる御灵也。幷(ならひ)に、中に列子(つらね)たる五十言の形仮名は、もと五十言の音も、音にのみ有て形なし。依(より)て、形なき音を目に見せるか形仮名なり。故に、神代の巻の布斗麻邇の御灵に占(うら)へてとあるは、形ある物には非す。直に其灵、理をさす。其理に占へたる也。御灵の理をは、形あるやうに布斗麻邇の御灵に占へてとあるのは、是か神代巻の神秘也。更に、神代巻の一切に、二柱の神まくはいの法則を知玉はさりし時、せきれい鳥来りて、其尾を動かして教へしとある。此せきれいと云も、実の鳥と思ふは非也。如何と云に、二柱の神みとのまくはい玉ひて、諸有(アラユル)国々山々鳥獣草木まで産玉ふ。

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それをは、いまたまくはいしたまはぬ先に、せきれいの鳥あるへきや知へし。せきれいとは何物そや。是、漢名也。和名は、トツキヲシヘと云。此名を解は、は與(クム)こと。は連なること。は水火(イキ)のこと。是、水火のいき、くみつらなることを教ふると云名也。そこを、トツキと云たもの也。水火(イキ)と男女與(ヲメクミ)つらなるか、トツキ也。水火與(イキクミ)連なるは、是(これ)即(すなはち)布斗麻邇也。別のものに非す。既(すでに)説(とく)如(ごと)く、火水與(クミ)連(ツラ)なる所は、其理(ことはり)人の目に見えさる故に、後に人の目に見せん為に、尾頭を動かす鳥の形を借て顕はすか、神代の巻の神秘也。此神秘を、中古の国学者実を知すして、せきれいと誠の鳥と思ひ、大八島とあれは、西国に在(ある)八島と思惑ふ者は、己(ヲノレ)人の眼を以(もて)神代の神秘を見ることにして、神秘なる神代の巻を猥(みだり)に窺(うかが)ふ故也。陰陽火水和合の理(ことはり)は、心なき草木、慮(おもんぱかり)なき鳥獣迄も、教へすして自然と知。

何况(いわんや)、二柱の神、吾産なせる鳥に教へられて、天地水火和合して、国を産の理を知玉はんや。それに、神代の巻に天つ神に申して、布斗麻邇に占へてとある、又せきれいに教へられてと有は、是神秘也。

然れは、志道か家に古くより伝はる布斗麻邇の御灵は、何れの神、何れの人の作り玉へる事は知ねとも、人の目の見えさるの天地火水自然の理を、目に見するの法則也。水穂の法(ノリ)を暁(さと)り、万物をたゝす御宝也。又是、神の代を治め玉ふの道也。教也。然れは、理は一也。形を見るは別也。依て、一にもあらす、異にも非すと申す也。
(山口志道「言霊秘書」p.375-383)


火水


 
記事更新日:2026/01/24

マタ(亦、又、股)

◎言霊
亦(マタ)は、はまろかること。は玉のこと。玉まろかるを、亦(マタ)といふ。木の股(マタ)なとも、枝と枝と付、円(マロ)かれたるをマタと云。今、の音は、亦(マタ)也とある。後選集の哥に、是やこの行還る、と有。此は、亦(マタ)の義にして、行人も、還人も亦(マタ)、と云語也。知れる人も、又(マタ)知らさる人も行逢と云哥にて、知る知らぬ逢坂の関、とよみつゝけし哥也。此一首に、四つのの辞あり。是は、皆亦(マタ)をなす。足のモヽを股(マタ)と云も、左右の足舫(モヤフ)処(トコロ)なれは、モヽの名をなす。是、右も左も一処に舫(モヤフ)也。行人、還る人、知る人、知らぬ人、と別なるもの四つ有。夫(それ)を、一処に円(マロ)かれ舫(モヤ)はせて、逢坂の関と與舫せて、詠したると知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.506)


百人一首


記事更新日:2026/09/05

ツマトリ(妻鳥)とアウムの法

◎言霊
間()。の音は、向ふ也と有。故に、一と間(ひとま)、二た間(ふたま)と水切(シキリ)しきつて、向ひ合ふ正中を云ふの始なり。妹背のことをツマと云も、は続こと。は向ふことにして、続き向ふの語也。故に、夫は婦をツマと云(いひ)、婦は夫をツマと云(いふ)。これ、つゝき向ふ法則の故に、互にツマの名あり。画法にツマトリと云て、夫婦の鳥を画くときは、先へ行く鳥は口を開いて後へ向ひ、迹(あと)より行く鳥は口を開かすに先の鳥に向こと、これを妻鳥(ツマトリ)と云。これ、つゝき向ふの法則なり。是等は、仏家に云アウムの法又(また)同し。は空躰にして、口を開く。ウムは陽灵にして、口を閉る也。故に王の開合は、アウムを表す。是を、ツマと云。すべて、つゝき向ふ物の名なり。つゝき向ふときは、独(ひとり)に非ず。必(かならず)対することあり。故に、間()と云も、為限々々(しきりしきり)と向ひ対するの語。
(山口志道「言霊秘書」p.517)


男も女も、互にツマと云。男には女をツマと云(いひ)、女は男をツマと云(いふ)義をなす。今、マは向ふの音ゆへに、女也 男也とあり。
(山口志道「言霊秘書」p.521)

鶴

 
記事更新日:2026/04/01

マカル(曲)

◎言霊
曲(マカル)。は間なり。は搦むこと。は助言の省け。正しく向ひ合ふて居る間(アヒタ)か一重搦みて、かへつて間(アヒタ)か合(アハサ)らさるやうになるを、曲(マカル)と云。今、此の音は、元(もと)水は水、火は火と分れしものか、水、火中に與合せて、何れか水とも、何れか火とも、竟(つひ)に分らぬやうになる。是を、曲(マカル)と云。今は、本来に背くを曲(マカル)と云。直なるものは、直ならさるやうに背ことを、曲(マカル)と云。今、此の音は、火中の水灵にして、元(もと)水は水に明らかに、其躰火の外に有し水の、今火中に與み合て、何れか水とも分らぬやうにくむ音故に、水火別々に有し理(ことはり)に背く也。故に、曲(マカル)也と有。マカリマカルと用(はたらき)てマカの反也。
(山口志道「言霊秘書」p.518)


渦



記事更新日:2026/04/01

イナリ(稲荷)とキツネ

2.稲荷の古伝について

二に、稲荷の古伝ちふものは、自然の神書(カミフミ)なることを説。それに、二つ始めに、古伝の来意を説。二に、古伝の一言の法則を説也。始めに、由来とは、太の朝臣安麿の古事記製作は、和銅四年(辛亥)の九月より始めて、同く五年(壬子)正月、上皇へ奉まつる。又、山城国稲荷の宮は、和銅四年(辛亥)二月の造営なり。是に依て、伏て考ふるに、古事記の製作はあれとも、若(もし)や言灵の道すたれて、末の代に渡らんかと恐慮りて、五十連の一言の法則と、水火(イキ)の形を記したるを、稲荷の神躰として納め玉ふかと見ゆ。是、志道の考也。然れとも、幾百年の間知人(しるひと)もなく、享保の頃、荷田の東麻呂、稲荷の古伝を社務より伝へらる。然れとも、時至らすして、其学ひを続人(つづくるひと)もなく、徒に荷田の訓之迄(まで)伝来して、訓之是を杉庵志道に伝へて、志道に至りて始めて、布斗麻邇の御灵に引合せて、稲荷の古伝は御灵より分れたる水火のイキの形にして、天地の氣を知の御伝なる事を悟り得たり。是に依て、今吾末代に有て、是を聞事を得たり。曰、何故に五十連の法則と、水火の形を稲荷の神躰とせしや。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イキ也。ナラブ也。は出入のイキにして、イキナラブ と云こと。息のならふとは、出入の息のならふ故に、ナリの反と、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かた)ちは、此五十連の音也。故に、此五十音に、一言の法則と、水火の形(かた)ちを印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イキ也。

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ナラブ也。は出入のイキにして、イキナラブ と云こと。息のならふとは、出入の息のならふ故に、ナリの反と、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かたち)は、此五十連の音也。故に、此五十言に、一言の法則と、水火の形(かたち)を印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。

さて、稲荷の神に狐の仕ることは云何(いか)ん。先、此狐に二種あり。一に、キツ又(また)キツ子と云あり。形の別なるに非す。其業の異なる也。今の世になりては、共にキツ子と云(いひ)習へり。そのキツと号(なづ)くる者は、野狐也。

故に、万葉に、夜か明けはきつにはめなてくたかけのまたきになきてせなをやりつゝ。是等は、キツと云て野狐のこと也。漢名には、一名紫野。或る記に、古婬婦あり、其名 紫夜と云。生なから化して狐となる。自ら紫夜と称すと。分類聚に、野狐一名紫夜、尾をうちて火を出す。みな是らは、野狐のこと也。吾国にては、古は野狐を只キツと云て、キツ子とはいはす。其例、上に引(ひく)万葉集等の如し。

p.385
しかれは、後の世に及ひては、是等の法則乱て、野狐のことをもキツ子と云になれり。扶木集(扶木和歌抄)に、花を見る道のほとりの古る狐かりの色にや人まよふらん。是等は、野狐のことを狐とある。其外、本草網目、白氏文集なとに、キツのことをキツ子とかなが付てあり。然れとも、全躰はキツキツ子と、元(もと)別なる者にして(顕云僻説笑ふへし和銅四年の勧請の稲荷なり夫に仕ふる獣の名を開闢より付てあるへきや又伝言灵の神獣を仕ふことはなにことそや可笑)、今、稲荷神のいつかはしめるキツ子にして、キツにあらす。名は替(かは)れとも、其形(かたち)見分難し。其業異(こと)なるによりて、名を別にするなり。先、キツ子と云名を解(とか)は、は水火のイキのこと。は列ること。は根にして、水火(イキ)の根につゝきつらなると云名なり。故に、命長くして、水火のイキを宰る神に仕ひ奉るなり。また、キツと云は、つらなると云ことにて、人のイキにつらなりて、人をまよはす。又、タハムの三言を反すとにして、たはむれて人を迷はすの名になる。是は、野狐の名なり。これ、形同しけれとも、業異なるかゆへ、名を別にする也。俗に考ふれは、人面獣心の如し。古言の法則なり。狐の鳴声を聞に、諸の獣にすくれて、イキにかしこきこと明著(あきらか)なり。如何と云に、彼(かの)狐の鳴声、クワンとなき、又コンとなく。是、カキクケコの音にして、アウムの二音に響かせ、行は暉火の灵にして、差別を宰る。アウムの二音、其躰空虚にして、無尽にしからしむるの音なり。故に、古伝にもある空中の水灵にして、無にして有なりと有て、故に字本不生不可得有也と云も、又(また)此アウムの二音によりて無にあらす、有にあらす、不可得の音なり。
p.386

其、真言の金胎両部の曼多羅は、アウムの二音の外なし。は胎蔵界、ウムは金剛界。は躰にして、ウムは用なり。今、神代の学ひよりは、は空水の灵にして躰、其まゝウムと水灵か火に入交て用となる。是を火中の水と云。故に、キツ子陰氣に惑ひて、声をなすときはクワンと云(いひ)、陽氣に惑して声を起すときはコンと鳴。これを俗人、狐のコンコンと鳴ときは福(さいは)ひ来るなとと云も、陽氣発するゆへなり。如此、自然と陰陽水火の理にかしこきこと、もろもろの獣にすくれたるか故に、イキの神の稲荷のつかはしめとなるも、亦(また)是(これ)自然の道理なり。顕云あまり長き解にて退屈せり。

二に、稲荷の古伝の法則を解かは、此言灵一言の法則は、稲荷の神躰にして、いきの元を尽し、音を活用(はたらか)しむるを、さとらしむるを、教ゆるの御伝なり。
(山口志道「言霊秘書」p.383-386)


稲荷とキツネ 
記事更新日:2026/02/20

マナコ(眼)

◎言霊
眼(マナコ)は、は向こと。は並ふこと。は息の凝ることにして、イキ(水火)とは、則(すなはち)日月也。右は水にして、眼は月を宰り、左は火にして、眼は日を宰り、故にマナコとは、いき凝りて並ふと云名也。今、の音は、火中の水にして、イキ凝並ふの音の故に、マナコ也と有。

古事記神代巻の、天照太神と、月夜見の尊と、天地の眼也。故に、其(そ)を知らしめん為に、伊弉諾の命と、日向の橘のをとのあはきか原にみそきし玉ひ、左の眼をそゝき玉ふて天照太神現れ、右の眼をそゝき玉ひて月読の命現はるゝ。二た柱は、日月也。天地の眼也。此二た柱の神、日月なることは、安麿か古事記の序にも、日月は服を洗ふに現れ、其日月は是(これ)天地の眼の故に、伊弉諾の神、目出度(めでたく)御子(ミコ)産玉ふと喜はせられ、人産るゝと云も、眼(まな)こ開かされは何そ目出度(めでたき)こと有ん。天地二た柱の神在(ま)す故に、目出度(めでたき)皇子(ミコ)也。万物、是より文目(あやめ)を分つ。葦原豊中津国、此ときにあたつて、国の国たることになる。今、此五十連五十音も、の一音に至て、息の不残顕れて、不足と云ことなし。実に、天地の眼也。音韻の眼、是より外に無きと知るへし。此故に、今マナコ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.516-517)


光の守護者


記事更新日:2026/09/16

ムカフ(向)

◎言霊
向(ムカヒムカフ)と用(はたらき)て、は睦(ムツム)こと。は搦(カラム)こと。睦み搦むを、向(ムカフ)と云。鏡(カヽミ)に向(ムカフ)も、鑑に我影を睦み搦むこと。仏に向ひ、神に向ふ抔(など)も、仏神に睦み搦むと云語也。今、は、惣(すべ)て火中の水灵にして、円(ロキ)を宰て、光なき空躰の水、火中に向ひ合て、光りを放つ一行なり。行の中にても、五十連の結ひ言にして、初めの一言より起り、アワの二つ現して、に凝はいよいよ降り、澄めるはいよいよ昇り、天地の文目分れ、其分かれし天地の火水又(また)與み合て、本(モト)のをなす。その根本のをなさんとて、今火中へ水與み搦む。至極の音也。其睦み搦むは、ムカフ)の語なるか故に、の音にムカフ)と有。モトムカフて、来る処也。
(山口志道「言霊秘書」p.515-516)



神棚


記事更新日:2026/09/16

ムナシ(空)

◎言霊
空(ムナシ)。是は、は無の音なる故に、ムナシと云。語意は、は睦こと。ナキナクと用(はたら)きて、睦むことナシという語也。是、所謂(いはゆる)老子の虚無也。道を道とし、名を名とするときは、是睦(ムツム)の教なり。夫に違ふて、道を道とせす、名を名とせされは、虚無にして、睦(ムツム)ことなきの教なり。譬は、剣(ツルキ)有か故に、人を殺害す。財宝有か故に、貧人出る。道有か故に、無道あり。名有か故に、無名の人あり。道なく、名無きときは、善人 悪人なし、と教ゆるときは、虚無の見の一遍にして、唯(ただ)いたつら者と云、空(ムナシ)き者出る。此見識は、道あり、名ありて睦む故に、自他の道を道とせす、名を名とせす、自も無く、他も無く、唯(ただ)自然に住するを、老子虚無の教と云。道に睦(ムツム)こと無く、名に睦(ムツムむこと無きが故に、是を虚無とも又(また)空(ムナシ)とも云。今、神代の学ひは、は、水、火中に凝り睦み究りて、形を隠して、外に睦(ムツム)の一無き故に、今空(ムナシ)きなりとも。是は、彼の虚無の空(むなし)き義には非。形無き、本来虚無の空(ムナシ)には非。既に、と形顕せる火水は、有なり。このは、火中の水にして、の火、水中に與み睦みて、形隠すのなり。故に、空(ムナシ)き也とは云とも、本来の火水空(ムナシ)き訳に非。形顕すの火水有にも非。故に、(〇)は五十音、火水のいきの惣名にして無にして有なりと有て、今神代の学ひは有に非、無に非しかも、有也と教ゆる処の、理(ことはり)の正しきこと知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.511-512)


白



記事更新日:2026/09/12

ナキ(無)、ム(無)

◎言霊
無(ナキ)は、は凝(コル)こと。は暉く火の灵なり。水、火の中に凝ると云こと。は、惣て火中の水灵にして、水の火に凝るの一行なり。其一行の中にても、此一音は中言に在て、余の四音に替て勝るゝ。水、火中に與み凝れは、火の為に水消為す。たとへは、鼎(かなえ)に水を入て火をたけは、竟(つひ)に水は火の為に消散す。是をナキ)と云。又、火も水中に與み凝れは、火の形を隠す。是、氣の凝(こる)故(ゆゑ)なり。惣て氣こり、これは其形を隠す。是をナキ)と云。今、の音は、火中の水の凝り究るの音の故に、は無き也と有。則、と云の一言にて、無()の語に用ると知へし。是、與るのの音なるか故なり。是、無の字にナキと訓するは、和漢の灵合なり。
(山口志道「言霊秘書」p.510-511)


蒸発



記事更新日:2026/09/11

モノ(者)

◎言霊
者(モノ)也。は舫(モヤフ)こと。也。則、舫て一つにまろかる語也。此者(モノ)と云語をつかうときは、必(かならず)先に其躰を挙て、下にモノとある也。和漢ともに、此義一つ也。ツカヘノモノと云は、初に使(ツカヘ)と云躰を挙て、夫に舫ふの人の故に、者(モノ)と云。かしこき者と云も、又しかり。智者 学者 同義也。其ことがらに舫ふ人(ひ)とのことを、者と云。舫へき躰の無きときには、人と云ても、モノとは云す。是者とは、者に舫の義有か故に、の音、者(モノ)也とある。
(山口志道「言霊秘書」p.506-507)


包丁職人


記事更新日:2026/09/05

カタマル(堨)

◎言霊
堨(カタマル)は、は搦(カラム)こと。は灵(タマ)をなすこと。搦て、円かに、玉なると云語也。夫を堨ると云。是、舫(モヤフ)の義と同し。然れとも、少しく差別あり。舫は、文(アヤ)に與むこと。堨るは、文(かざ)りなりして、強く與むこと。舫は與むことの軽く、堨るは與むことの重きと知るへし。しかれとも、火中に水與むと云(いふ)法則(のり)は、同しきと知るべし。
(山口志道「言霊秘書」p.506)


火水


記事更新日:2026/09/04

モヤウ(舫)

◎言霊
舫(モヤフ)は、モヤヒモヤフと用(はたら)きて、もの堨(カタマル)こと。は、文なること。アヤに堨ると云語にして、の火と與み堨ること。火中の水の、の音故に、モヤウ也とあり。惣て、一行の中にも、最下の一音は、上の四音を束ねて、殊に重き故に、此は惣て、の火と與み舫ふ一行なれとも、舫(モヤウ)の法則は、此の一音に在(ある)と知へし。故に、一を十()に與たるを、と云。十(トヲ)を十()を與たるを、百(モヽ)と云。是、のくみて、になる故に、火中の水灵のの音に舫(モヤウ)也とある。
(山口志道「言霊秘書」p.505-506)


魂の召喚



記事更新日:2026/09/04

ヒフミヨイムナ(数の御灵)

又、布斗麻邇の御名を、数(カス)の御伝へに会するとき、ヒフミヨイムナの七言、是(これ)自(おのづから)数(カス)の御灵と、其理(ことはり)自然と契当する也。先(まづ)ヒフミヨ。是は御灵ては、布斗(フト)の事也。イムナとは、御灵てはマニの事。それは如何と云に、ヒフミヨとは、は火也。は吹こと也。は水也。は與事。是、火を吹て水に與(クム)と云こと。員(カス)の御灵ては、ヒフミヨと云教へ也。イムナと云は、イキのこと。ムツムこと。は幷(なら)ふことにして、即(すなはち)火吹て、水に與(クミ)、いきむつみならぶと云ことなれは、即布斗麻邇(フトマニ)の御灵の四言の御名を、七言に開きたる也。同く、いきの離合(クミハナレ)を教ふる御名也。御灵と数の御伝へとは、唯(ただ)開合の異なるのみ。先(まづ)、一粒の籾(モミ)、自(オノツカラ)春になると籾の胎内に火ふき、ふくれて夏になり、苗代に蒔て水に浸すか、是(これ)火水與(クム)所也。是、與(クム)の始め也。又、員(かす)の御伝ては、ヒフミヨの四言に当る月に配しては、正月より四月なり。それより、正しく随かひて、地に與(クム)か水火(イキ)のむつむ所也。員の御伝ては、五六(イム)に当る。月に当れは、五月、六月に当る。それより、弥(いよいよ)いきむつみて花開(サキ)幷(ナラ)ふか、員の御伝へては七()に当たる。月に配すれば七月に当る。七月は、一切の万物始めて実を結ひ始むる時也。二つのいき、始めて一つのホチ)の中に入なり。故に、七月七日に星合する。是(これ)、空に星と云者(いふもの)別に有て、相逢と云事には非す。ホシと云ことを解は、は正火の灵。は昇水の水の灵也。六月まては、陽の火盛りにして、七月に至り、始めて陰の水氣に與(クミ)凝(こ)りて、土一つになるをホシ(星)と云。又、七夕(タナハタ)と云は灵也。は幷ふ也。は火水(イキ)の二つのこと。は列なること。二つの火水(イキ)の灵、幷ひつらなると云詞(ことば)にして、水火(イキ)の二つに與(クミ)て、竟にホチ)になる所をと云。幷ふと云こと、水は女、火は男、一夜の契(ちぎ)り也。終りた所に寄(よせ)て、設けた祭也。実は形なきを、形ある物に寄て設けて祭る也。又(また)生れての後(のち)七夜を祝ひ、又(また)七歳を祝ひ、正月の七日七草、七月の七日は秋の七夕也。其(その)春の七草の言を解は、は與(クム)こと、は少なき也。万物のイキ(火水)、與(クミ)そめの兆しを祝(イワフ)の名也。七夕は、既(すでに)とく。知へし。如此(かのごとく)名をなして、万物のみのりの数は、七つの数に極まる也。故に、七草はイキの與(クミ)そめ也。七つの数を以(もて)與(クミ)そめ、與(クミ)終りを顕はすゆへ、今此(この)布斗麻邇の御灵の名は、ヒフミヨイムナヤの七つの員(かず)に充(アテ)て、陰陽(イキ)與(くみ)て万物を生する事を教ふることの神宝故に、神代の巻には、彼二柱の神ミトノマクハイし玉ふ時に、イキ與(クム)の法(ノリ)をたかひて、女神よりアナニヤシエヲトコヲとの玉ふゆへに、ミコふさわず。
(山口志道「言霊秘書」p.378-380)


◎言霊
止也。トトムとは、トトの反にして、は與こと。は睦むこと。與睦を、トヽムと云。今、水の中に火與み睦みて、玉をなして、更に変ことなく、永世尽ることなし。故に、トヽムと云。人のこゝに止マルマルの反)と云も、能(よく)睦みて動かさるを云。今、の音は、水中に火與み睦みて、玉をなして、更に変らさるの音故に、止(トヽム)也と有。タチツテトは、玉(タマ)つゝきて、今爰(ここ)に止まることにして、ヒフミヨイムナヤコトと、止り終る也。
(山口志道「言霊秘書」p.503)


春の七草


 
記事更新日:2026/08/28

トク(解)

◎言霊
解(トクル)とは、は與(クム)こと。も與(クム)こと。水中の火の與むを、解(トク)と云。偖(さて)、こゝに心得あり。水をトクと云も、與(クミ)凝(コリ)て有ものを発つの語。今、與(クミ)與(クム)の義なるを、物を放つことに用ゆるは、心得かたきやうなれとも、本来の語を能(よく)解(トク)へし。氷は、只(ただ)氷の儘(まま)にてはとけす。其氷に、春の陽氣の火か 與(クミ)結ひたる故に、氷もモトの水に解(トクル)也。是を、トクと云。 又、解(トク)と云語を解(トク)にも、其音に法則與()ませて解(トキ)分(ワカ)る也。帯も結ひたるに、手を與(クミ)入て解(トク)也。如是、水中へ火與(クム)か故に、解(トケル)。故に、水中の火灵なるの音に、トクル也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.502)

氷


記事更新日:2026/08/26

タナコヽロ(掌)、テナコヽロ(掌)

◎言霊
掌(タナコヽロ)とは、本語テナコヽロなり。夫(それ)を、タナコヽロと云訳は、下のナコヽロに用(はたらき)ありて重く、と云に用(はたらき)なくして軽し。故に、に譲りて、タナコヽロと云。委(くはし)くは、ケセテ子ヘメカサタナハマの音を扱の処に在(ある)故(ゆゑ)に略す。本語テナコヽロとは、は正中のこと。コヽロは、こりることにて、手の正中に凝る所を、タナコヽロと云。此タナコヽロ、則にて、左右有か故に、の音に掌(タナコヽロ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.500)

手

記事更新日:2026/08/24

ツラナル(列)・ツゝク(続)・ツゝメル(約)

◎言霊
約は、ツヽメツヽムと用(はたらき)て、則続き渦巻ことにして、ウツマキウツマクと云語を約て、約(ツヽム)と云也。水渦巻けは、次第次第に潜(ヒソマル)。是を、約(ツヽメル)と云。ツヽメと云に付て、テニヲハに二つの扱ひ有。(ながら)ツヽと、ツヽとあり。(ながら)ツヽは、列(ラナル)、続(ヽク)より出る法則なり。ツヽは、火中の水灵の音なれは、渦巻(ウツマキ)潜(ヒソマル)より出る法則なり。故に、語の下にツヽとありて、上の語に反る格と、又(また)語の下にありて、の一音にツヽメル格とあり。例せは、思ひツヽと云て、 思ひ乍(ながら)となる格と、又(また)かく思ひと、ツヽメル格あり。故に、今の一音に、列也 続也 約也とあるは、列(ツラナル)ものは竟(ツヒ)にツゝマリツゝマルものは又(また)開けてツゝク故に、今火中の水灵のの音に、五つの法則あること、此心を以(もて)知るへし。続くものにあらされは、約まることなし。きれきれになる物は、必(かならす)ツゝまらぬと知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.498-499)



鳥



記事更新日:2026/08/22

トリ(鳥)

◎言霊
鳥(トリ)は、陰中の陽物也。是、の音は、水中の火灵なれは、鳥の灵なること知へし。畜類の中にても、総て魚は陰也。水を離れす。獣は陽也。故に、陸地山林に住む也。鳥は陰中の陽物なれは、多(おほく)は夜ひそまりて、朝に飛ふ。或は、水中に遊て、陽に向ふてたつ。冬ひそまりて春出、百鳥春に囀ると云。或は、林中の隠処に住んて、陽氣を待(まち)て鳴く。是、陰中の陽物の故也。今、の音は水中の火灵なれは、鳥の灵也と有。鶯雀と云如し。
(山口志道「言霊秘書」p.469)


◎言霊
は鳥の灵也。鳥(トリ)は陰中の陽物なるか故に、今火中の水灵とあり。の音に鳥の灵也と有。しかるに心得あり。上の音にも、水中の火灵也。是にも亦、鳥の灵とあるへし。此の音にのみ、鳥の灵と有や。解して曰。是、自然なりといへとも、今の音にのみ鳥の灵とあるは、別に理(ことはり)有こと也。其故は、の音は正しく、一百千に及ふ音故に、鳥は都(すべ)て、一に百千幷(なら)ひて、よくつゝきとほるものなり。是を、雁の一と列(ツラ)なとゝ云。鳥は、一羽たては百千の鳥又(また)能(よく)列(つらなる)なり。続くことの正しきもの也。故に、論語学而の篇に、時習之の註に、朱子の曰、鳥の数(シハシハ)飛か如しと。師の跡に順ふて、習ひ行ふにたとへたるもの也。故に、千鳥と云は、一より百千の数を奇(よす)る音の故に、員(かず)多く集りし鳥を云。何鳥と定めたることは非す。如是、総て鳥の性は、一に百千幷(なら)ひ集るもの故に、今の音に鳥の灵と有。
(山口志道「言霊秘書」p.496)

鳥

記事更新日:2026/08/18

ツルキ(剣)とカヽミ(鏡)のチキリ(契)

◎言霊
剣(ツルキ)の反にして、は剣の灵なり。三種の神器の中にて、宝剣は主上の徳を表す。神鏡は后(きさ)きの徳を顕す。皇后の鏡の水の中へ、主上の火の剣(つる)き和するか故に、是をツルキと云。解かは、は連なること。は助音の省け。イキにして、息連と云名也。故に、剣は人を殺害する器には非。氣(イキ)を連る具也。君臣のイキ連らさるときは、国乱る。其乱(みだれ)し国を治めて、君臣のイキ連ねん為に、剣を以(もて)和平せしめ、国家を安んする。是を、ツルキの徳と云。しかるに、後世に至て、唯(ただ)剣は殺害を用(はたらき)て、反(かへり)て国を乱すの器とす。如此の穢れたる器を、何そ神器を祟るへきや。漢字にも、武士の武は戈(ほこ)を止むと書て、君臣のイキ連るに依(より)て、剣に依(より)て氣(イキ)連り、国を和平するか故に、ホコに剣の名をなす。ツルキは息をツヽクと云こと也。文王一たひ怒りて、天下平(たひら)かなりと言ふ如し。上下の氣(き)連(つら)なるの天下の法(の)りを、主上后宮に有て、神器を以て(もて)是を表する也。故に、男の魂を顕すときは、剣を用ゆ。女の魂を顕すときは、鏡を用ゆ。統(すべ)て、チキリと云も、主上の剣と后皇の鏡と、婚嫁(ミトノマクハイ)するに名をなす。ツルキの反也。カヽミの反。則(すなはち)、是をチキと云。は助言なり。国家安全に治るは、上下の和平にあり。其和平せしむる本(もと)は、諸(もろも)ろ人の契り也。チギリの本(もと)は、ツルキカヽミと、二の徳に収る。今、の音は、水中の火灵にして、母の鏡の水中へ、父の剣の火和らき睦むの音故に、ツルキ也とある。是、イキツルム(本語ツルクム也)のこと也。
(山口志道「言霊秘書」p.494-495)


三種の神器

記事更新日:2026/08/17

タヽシ(正)

◎言霊
正(タヽシ)とは、タヽの反にして、は補言也。タヽの二音、灵と灵と合せたること。則(すなはち)、灵と灵と合して違はさるを、タヽと云。君臣と云も、乃至(ないし)夫婦朋友と云も、灵と灵と合されは、臣其君を欺き、子其父を欺く等の如し。灵と灵と契り合はするを、タヽシと云。臣 其君に忠し、子其父に孝するは、是タヽシ也。其形ばかりにして、意と意と合されは、巧言令新鮮矣仁(顕云此語を引は何事そや文盲甚し)。灵と灵の合ふをと云。このの音は、水中の火灵にして、万物の灵也。種也。万物、一つの灵の種より開けたるものにして、万物本(モト)一つの灵(タマ)にして、違はさるもの也。故に、は正(タヽシキ)也と有。若(もしくは)、意と意と合ふかゆゑに、正しと云也。
(山口志道「言霊秘書」p.492-493)


田畑


記事更新日:2026/08/14

オホイ(大)とオホイ(多)

◎言霊
は暉火灵にして、陽の昇る相(すが)た也。陽の昇るときは大きく、潜まるときは少(チヒサ)し。例せは、火昇りては、百丈の殿舎も一時に滅す。潜まるときは、爈中に埋みて、掌を以(もて)覆ふ。今、は暉く火の灵にして、火の昇る音也。故に、大(オホヒ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.476)


◎言霊
大(オホイ)也。此の音は、水中の火灵にして、万物の灵也。種也。故に、是より大いなる物なし。今、天地と開け、万物と広かるも、其本(モト)は伊弉諾、伊弉冊の二柱の火水(カミ)與玉へる、一滴のタマより生る。一滴の灵(タマ)、割別れて天地万物となり、子々孫々となりて、永世尽ることなし。故に、大(オホイ)なるものは、水中の火灵の一滴にすきたるものなし。
(山口志道「言霊秘書」p.491)


◎言霊
多(オホイ)也。オホイオホキと活用(はたらき)て、は起ること。は火也。火を起したるは、此の灵なれは、オホ也。一滴の種子は、少きやうなれとも、開けは天となり、地となる。人及ひ鳥獣草木となる。多きこと、是にすきたるもの無し。上の大いなると、此多きなると、少しく語意に差別あり。大と云ときは、形より云語にして、又多也と云ときは、類より云の語也。
(山口志道「言霊秘書」p.491-492)


◎言霊
の音は、五十連の終の音にして、初めより起て、五十連に顕れ、其五十連の終りに、又初めのに反る。其オホヒなる理を備えて有ことは、此一音に過たるはなし。故に、オホヒ也と有。


田んぼ



記事更新日:2026/08/13

タネ(種)とタマ(灵)

◎言霊
種(タ子)とは、は正しきこと。は息の根也。正しき息の根は、種と云こと也。今、此の音は、水中の火灵にして、父の火、母の胎内の水中に垂(タリ)て、灵(タマ)をなすの音也。故に、息の根なり。タリチ根の一滴の灵は、是の根の故に、水中の火灵のの音に、種(タ子)也と有。此灵と種子は、差別ありや。答曰。少しくけぢめ有。灵(タマ)と云ときは、いきの連り、まろかれるより云(いふ)の語。又、種子(タ子)とは、息の本をなすの語也。故に、躰は一つなれと云語の意(こころ)は、少しく差別あり。其いきの本(モト)は、即(すなはち)父母のいきのまろかれたるたまなるか故に、種は即(すなはち)灵(タマ)のこと也。其躰、別(べ)つなるに非。灵に二種あり。則(すなはち)、形の灵心の灵と也。躰は息にして、灵と云語の義は同しこと也と知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.491)


植物の種と発芽




記事更新日:2026/08/12

タマ(灵)とタマシイ(灵)

◎言霊
灵(タマ)とは、伊弉諾のいき、伊弉冊の水中に降りて灵をなす。故に、水中の火灵とある。此の字の形を見て知るへし。火氣、水中に入(いら)されは、灵をなすこと不能。水の性は凝る物にあらされは、火、水中に和して凝らぬか故に、灵をなす。タマとは、は連なること。は円きこと。水火連り、円にまろがるを灵と云。今、は水中の火灵なるか故に、灵也と有。偖(さて)、カラタの如きは、カラミ カラムなり。は灵也。タマカラミカラムの故に、カラタと云。五体は搦む也。タマシイは、也。タマシイカラミカラムを、骸(カラタ)と云。顕云。タマシイとは、タマは灵也。は印也。は息也。魂の有(ある)印(しるし)は、なりと云心也。
(山口志道「言霊秘書」p.490-491)


伊邪那岐伊邪那美



記事更新日:2026/08/11

サソフ(誘)

◎言霊
誘(サソフ)とは、は割別(サキワカルゝ)こと。は揃(ソロフ)ことにして、躰は別にして有乍(ありながら)、セスシと昇る迄は、只(ただ)一にして別れぬに、今は其一に昇る水の、割分るゝの音也。しかれとも、割分るゝなれとも、揃(ソロ)ふて乱れす。是を、誘(サソ)と云。友を誘ふなとも、彼れと是と躰は別なれとも、揃へ行くを誘ふと云。如此、水は物を睦むの故に、割分るゝと云も、又離れすして誘ふ故に、さそふ水に有。小町の哥に、さそふ水あらはいなんとそ思ふ、と詠也なとは、能(よ)く詠得たる名哥也。今、昇水の灵のの音なる故に、誘ふ也と有。顕云。イサナフと云は、は息也。は割別(サキワカルゝ)こと。は双(ナラフ)こと。イサナヒイサナフと、ヒフの活用(はたらき)にて省け、割別れたる息をならへると云ことにて、他人とならふと云ふことにて、誘(サソフ)なり。
(山口志道「言霊秘書」p.489)


イザナギとイザナミ



記事更新日:2026/08/10

シルシ(印)

◎言霊
印(シルシ)は、シルシシルスと活用(はたらき)て、昇水の灵なれは、水明に住む形を現して、朧ろにあらす。故に、形を現して、其躰明になるを印(シルシ)と云。忝(かたじけなく)も、三種の神器の其中に、印し(玉璽又神璽)の御灵と云も、明に国の印しなることにして、印しの御灵と云。宝剣は主上の御灵。神鏡は后宮の御灵。印しの御灵は太子の御灵なり。主上、后宮のいきを結ひ玉ひて、其いき御印しと云ことを、御灵と称し奉る。総て、十種の神に宝(タカラ)有(ある)中(なか)に、御灵と称する物四つ。これを(神祇伯白川公の御伝)、一には印しの御灵、二つには宇賀の御灵、三には生灵、四つには布斗麻邇の御灵、如此の御灵は、皆いきを知るの神宝(かむたか)らなり。しかれは、シルシとは、形現れ明に定ることを云。是、形無きいき凝りて、水は明に形を現して、昇る音の故に、印し也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.486)

三種の神器



記事更新日:2026/08/06

イシ(石)

◎言霊
石(イシ)とは、は息のこと。は印(シルシ)のこと。イキシルシと云語也。故に、天地の息(いき)凝(こる)処(ところ)には、必(かならず)石あり。天地のいき開けたる所には、石少(すくな)し。山林及ひ幽谷海底は、いき凝たる処ゆへ、石多し。高原 陸地等は、天地のいき開く処のゆへに、石少(すくな)し。いき凝りたるシルシ現るゝ。是を、石と云。人の歯、是石なり。故に、いき盛んなるときは、歯も盛んなり。いき衰るときは、歯も亦おとろふる也。火水のいき凝りて、火は形を隠し、水は形を現して、昇るのシルシなり。故に、の音に石也とある。惣(すべ)て、石ある山には水多し。水出る所には、必(かならず)石多し。故に、の音に石(イシ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.486)


渓流

記事更新日:2026/08/06

ソタツ(育)

◎言霊

育(ソタツ)とは、は揃ふこと。は大なること。は続くこと。離れぬやうに延し、太らすことを、育(ソタツ)と云。今、は昇水の灵にして、水は能(よく)物を育つる用(はたらき)あり。火は物を損する物なり。草木の花を火の中に入るれは、惣(たちま)ちにしほむ。水に止むるときは、永く育つ。父の火、能(よく)息の本はなせとも、育つは母の水にあり。第一義、是也。故に、今は水灵の音のゆへに、育つなりとある。しかも、同し水なれとも、濁水なれは、火か交るゆへに能(よく)は育()たたず。ラリルレロは延(ヨタレ)にて、草木の花を止ること能(あた)はす。これ、何を以の故に。水火二凝が故也。今、昇る水は、清き水也。清き水にあらされは、能(よく)育つることは能(あた)はす。たとへは、濁水に住む魚と、清水に住む魚の如し。能々(よくよく)可謹こと也。今、の音は昇水の灵にして、濁れるは降り、スメルは昇る音の故に、育(ソタツ)也とあり。
(山口志道「言霊秘書」p.485-486)
国生み

記事更新日:2026/08/05

ツカサ(司)

◎言霊
司(ツカサ)とは、は続こと。は昇こと。は割分こと。上に居て、事を割分るを、司(ツカサトル)と云也。今、は昇水灵にして、進み昇り、割分んとする故に、司ると有。実は、司サの語は、ツヽキカサヌを約たる語也。心は同し。ツヽの反は、ツツキツツクと用(はたらき)て省く。カサヌは、両()のにして、つかさと云心になる也。昇水灵は、ツカサなることと知るへし。上のの音は、暉く火にして、昇ることなれとも、かゝやくと迄はいはるれとも、昇るとは云はす。たかき也とあれとも、司とはなし。是、火は物を凝し、水は物を育つ母の義にして、物を育つるの義よりは、物を凝すの義は重くして、これ左(ひたり)は右(みき)より重し。是は、伊弉諾の尊は左の眼をそゝき玉ふ、月読の命と顕る。月夜見命より勝れて、天照太神は天地の司サにならせらるゝ。故に、左大臣、左大将、左少弁等は、命令を宰(つかさどる)の官にして、右大臣、右大将、右少弁より重し。今、此五十言のは、火を司りて、左に在て高し。は右に在て、水を宰る。天地自然の法則、王法、全く此五十連(いつら)に有こと知へし。臣よりも左右と云(いひ)、君よりも左右と云(いふ)。是、王法の伝へなり。
(山口志道「言霊秘書」p.484-485)
国生み

記事更新日:2026/08/04

サイハイ(幸)とワサハイ(災)

◎言霊
幸(サイハイ)とは、サキの反にして、即サキ也。サキとは、本語サイハイなり。約めてサキと云。幸(サイハイ)と云は、割別こと。は、イキの反にして、は天を回る日也。天の息を回り開いて、万物を割別け、生せしむるを幸いと云。惣て、一百千に及ふを、幸いと云(いふ)。一より多きに及ふと云。父母のいきより割別るの義より、成す語(こと)はなり。ワサワイとは、とは也。天より割分れしいきを、天に逆ふて、いきを割分ずして、一つにまろがれるをワサハイと云。一粒を万倍になさゝるを、ワサハイと云。幸い不成と云。一百千を損して、唯一つにておほすの語也。故に、漢文にも不幸三つあり。後(あと)無きを大也とす。(顕云不幸の幸は孝也。文盲の甚しきこと可笑)。いきを子孫に割分けさる程の災は無し。故に、百千の物を、只一つに及ぼすを、ワサハイと云。又、一より百千をなすを、幸(サイハイ)いと云。今、サキと有は、サキサクとあるとつゝめし語也。一を百千に割分くる語にして、是(これ)幸(さいは)いの語と同義也。夫に、カサヽキ
(山口志道「言霊秘書」p.482-483)


マナ



記事更新日:2026/08/03

オノレ(己)とタレ(誰)

◎言霊
己(オノレ)とは、は起ること。)也。は助言。一つに円(まろか)れたること故に、誰(タレ)と云ときは、は多きこと也。何れ共、定めて指語に非。居へ、からみて云語。今、己(オノレ)と云ときは、独りと指こと故に、漢語にも一己()なとゝと云て、人に構はす。我独(ヒトリ)と癖執(ヘキシウ)するを、一己と云。神代巻の、オノコロジマと云も、オノレトコルと云語にして、一粒の籾の形をなせしことなり。 是、オノレと起り、まろかれたることにして起り、円(まろか)れるは是形をなす始也。故に、今(いま)昇水の灵の始めをなすの音故に、オノレ也有。如此、一音 始也 終也 死也 己也と。生も 死も 始めも 終わりも、皆(みな)同一に、水より水に入の 理(ことはり)と知るへし。偖(さて)、漢字にも、始死▢(虫損)至止、皆(みな)同じ称(とな)へにして、灵合をなす。こゝに、己れと云は助言にして、顕れ隠るゝ故に、を省てオノと云。又、省かすして、オノレと云。鄙言に、オレと云。此ときは、は省け、の一音以(も)て義をなす、の字と見るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.482-483)


国生み



記事更新日:2026/08/02

カサゝキとミサゝキ

◎言霊
死()すれは水を宰る故に、天子の御尊骸の在(ましま)す所を、ミサヽキと云。水にサキ、サクと云詞なり。水に幸(さいは)ひをなすより、付しもの也。紫震殿の御階は、カサヽキ橋と云。息にては、火に幸ひをなす御名にして、今(いま)行は火を宰る。此は、水を宰る。左右前後をなす水火のいき、天照太神、月夜見の命と生れ玉ふ法則は、こゝより出る。是、の音は、昇水の灵にして、終りの義なるか故に、死()也と有也。
(山口志道「言霊秘書」p.482)


◎言霊
カサヽキは暉火灵にして、火にさきさきて、幸(サイハイ)をなすと云語也。日出れは光り暉き、天地万物の差別を分て、照して、幸(サイハイ)をすると云語也。故に、八隅知之(ヤスミシシ)と有て、大君(オホキミ)の四海を治(シロシメス)徳を崇(アガメ)てと云こと。又、紫震殿の御階を、カサゝキノハシ(暉幸乃階)と云。天皇の在(ましま)す所。在乍(さりながら)、朝日の出るか如くなる故に、カサゝキと云。漢語にも、是を朝廷と云。或は、朝臣と云。光徳万民に及ひて、幸いならすと云ことなし。故に、天子の御坐を、漢には朝と云。又、御幸と云。幸の字を仮字にするも、此心なり。天皇行玉ふ処は、闇夜にても燎火(りょうか・かがりび)を挑(か)けし如し。是を、御幸と云。如此、一十百千に割別れて、物に及ぼすを、サキと云。の音は、昇水の灵にして、初めソセスと水中に火與()みて、火の為に水今(いま)動き、進み昇りて、正しく割分らんとする音の故、幸也と有。是は、割分れんとする始め也。は正しく割分れのとき也と当知。顕云。サイハイとは、は割分こと。は息のこと。は発のこと。心は今近苦しみし息をサキワケ、又(また)息を発くを云如是して発解す。
(山口志道「言霊秘書」p.483-484)

〈補足〉
◎八隅知之とは国の隅々まで知らす(広く天下を治める)という意味で、大君や天皇にかかる枕詞。


雲海


記事更新日:2026/08/03

ハシメ(始)とヲハル(終)

◎言霊
の音は、昇水の灵にして、万物の初めを宰る。先に解か如く、動く物は水にして、動かしむる物は火なり。火の為に水動されて、始めて形を現して昇る。故に、今(いま)昇水の灵のの音に始也と有。これ私の解にあらす。古事記神代の巻の神秘なり。二た柱の神、みとのまくはいの条に、女神先(まづ)あやにやしえ男(ヲトコ)をと、男神に先達て勅(ノリゴチ)玉ふ。是、女神は水にして、水始めをなすの法則を知らせ玉ふ神秘なり。故に、日本紀神代の巻には、其法則に違はすして、女男分(わか)たすと、女の水先(まづ)挙て、男の火を後に出して有。漢書にも、陽陰とはなし。陰陽と有。是、自然の法則也。故に、をみなは十三才にして其血氣定り、男は十五才にして全く血氣とゝなふ。是、女の水は、男の火より先達と知るへし。故に、往古(いにし)へは、婚姻を結ふにも、先(まづ)女の家へ男行て契りをなし、而後に男の家へ女をともなふ。是を、よばひと云。今、其礼儀残りて、女より先き酒をくみ始て、次に男に献するも、此法則の違はさると知るへし。草木の芽を生して延ひ行(ゆく)も、水気先達故也。ヨハヨハシイ。解の如く延すは、水にしてこらすは、火也。人も生まれて弱々しきは、水の先達か故に、水氣増りて時々剋々に成長する。俗に是を、水子と云。如此、万物の始めは皆(みな)水也。故に、昇水の灵のの音に、始め也と有。しかし爰(ここ)に心得の有は、形をなす始めは、今の解の如く水也。しかれとも、形なき所に形なさしむるは火也。是より云はゝ、火を始めとも云へし。しかれとも、なさしむる物は形なし。なすは形有。なす形よりいへは、水は始めなり。混沌と形別(わか)らさる時は、何れを水とも、火とも、別ち難し。しかし、天地と別るゝ中に、先(まづ)天(てん)先(さき)に成りて、地(ち)後(のち)になる。天は空水にして、此ときは水。地は濁りて、此ときは火。其空水のあめは、つちより先になる。此水は、火より先達つと知るへし。夫を教ゆるか、神代の巻の神秘故、古事記には女神先(まづ)勅(ノリコチ)玉ふと有。日本紀には、女男と列ねて有。天地万物は、水先達(さきだ)つことを教ゆるの神秘ゆゑに、今(いま)昇水の灵のの音に始也と有。


◎言霊
の一音に、始メ終ルと有は何そや。是、千早振(ちはやふる)神代の学にして、更に凡慮の斗(はか)る処に非。唯(ただ)、自然の理を以(も)て解くへし。先に解く如く、形をなす物は水にして、形なさしむる物は火也。形の始は、水氣勝て、火氣盛んならす。故に、惣(すべ)て春の若草の如く弱し。竟(ツヒ)に、大氣盛なるときは、又(また)其形も亦(また)盛なり。是、夏草(ナツクサ)の如く茂る。又、其火氣衰ふれは、形も亦衰へて、秋の草木の如く散崩る。即ち、元の水氣に帰る。是、盛なるは火、衰ふるは水。小児の力の柔弱なるは、火氣小きか故に、常に冷るも、全く老て火氣衰へて寒(さむき)か如く、老児同しことなり。是、水より起りて、水に帰る。日月はむば玉の暗より出て、同しく闇(くら)きに入。朝に露をなして、又夕部につゆをなす。是、初めも終りも皆(みな)水なり。始に離れて終なし。始終同一なることを知るへし。神代の巻に、始めにひるこを生みて、葦の葉の舟に入て流す。是、始めに終りを備ふるの神秘なり。次に、伊弉冉(いざなみ)の火水(カミ)神去(かむさり)在(ま)して後に、天照大神を生み玉ふは、母なくして生れ玉ふ。是、初めに終りを備ふるの神秘なり。母は死して後(のち)生るゝは、始に終りを備ふる神秘なり。始終同一の王法の教、王宮に有ても、初春に六朝より七日まては、神事あり。八日より十四日まては、仏事経営し玉ふは、始終同一の王法の法則なり。是、神代の神秘あるか故に、稲荷の古伝、天地自然の音を以(もて)教ゆ。古事記神代の巻の法則に違はさる、王法の規矩となるへき本元なる故に、の一音に起るのと、終るのと備へ、より起てに反る。始めに離れて、終りなし。終りに離れて、始めなし。今日の始は、昨日の終り。今日の終りは、翌日の始め。実に、始めに終りを備へ、終りに始めを備るの法則。是、皇国神代の法則。天地自然の規矩を現するか故に、今の音に始也、終也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.481-482)


◎イロハ口伝
何ゆへならば、生をはなれて死もなく、死をはなれて生もなく、本(もと)の一音に起るのと、終(をはり)のを含み、天地開闢の時、はやをわるの義備(そなは)る。をわりに又(ま)た始めを備ふ。一をはなれて十なし。十をはなれて又(また)一もなし。唐の文字にすら、子始死共に音を同(おなじく)して、始(はじむ)るにも、終るにも又(ま)た、漢和自(おのづ)から灵合(たまあひ)と云(いひ)つべし。然れば、生死を知るの、このイロハ文也。
(山口志道「言霊秘書」p.529)


夫婦岩



記事更新日:2026/08/09

カナラス(必)とウタカフ(疑)

◎言霊
疑(ウタカヒ)とは、は浮ひ動くこと。タカヒタカヒタカフと用(はたらき)て、動き違ふと云語にして、物のうこき、其理に違ふを、ウタカヒと云。則、定まらぬこと。教へは明らかなれとも、其教を明らかならすと思ふ。これを、ウタカフと云。惣ては、暉く火の灵にして、火の用(はたらき)也。火の躰には非。火の躰は形なく、又暉くものに非す。其かゝやかさる火の躰に、うごき違ふて水に與みて、暉くの音故に、疑(ウタカヒ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.477)


◎言霊
必(カナラス)とは、は暉(カゝヤク)こと。は並(ナラフ)こと。ラスの反にして、助言也。暉き暉く物を、並ふと云語にして、慥(たしか)に見分け、朧(おぼろ)成さること也。今、は暉く火の灵故に、必と有。おほろに非すして、明らかに見分ると云より、語伝用して、は疑ふことならすと云語になる。是を、必(カナラス)と云。しかし、是は伝用の法則(のり)と知へし。其訳は、下の疑(ウタカヒ)也と云(いふ)法則条下に解へし。
(山口志道「言霊秘書」p.473-474)




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記事更新日:2026/07/28

キタル(来)・キタル(氣垂)

◎言霊
の音は、形無の真の火、真の水に與みて、形をなすの氣()の音故に、氣垂るの意をなして来ルとある。タルとはタルタリと用(はたらき)て、父母のいき本(もと)形なし。其形無のいき舫て、いきの形をなすを、来(氣垂るゝ)と云。北()抔(など)と云も、此心なり。夫の氣、垂るゝと云ことなり。今、人の来(タル)なとゝと云も、遠き彼方にありて見へぬ人も、こゝに近付、顕(あらは)るゝを来(タル)と云。其近付現るゝものは、彼処の人の氣、こゝに垂(た)るゝ故なり。故に、歩み近付、若(も)し彼方の人の氣のこゝにたれされは、譬(たとへ)あゆみ進むとも、爰(ここ)に形見えす。其、こゝにたれさる故也。有朋自遠来なと云も、若(もし)其人徳なけれは、近き人も近付親ます。是を、氣垂らすと云。今、形なきの真(まこと)の火水、初めて形顕すのの音故に、氣垂る(タル)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.473-474)

女性


記事更新日:2026/07/19

シキリ(水切)とカキリ(火切)

◎言霊
の音は、形(カタチ)をなすの火水(イキ)にして、形をなすのいきは、火水の凝(コリ)極(キワマル)也。故に、限(カキリ也とある。偖(さて)、語を解かは、は搦むこと、イキのことにして、搦むいきと云語也。物に搦み極まれは、又離るゝ。故に、限り極れは、物凝(モノ・コル)のつまりを云。先きに解か如きの音は、形をなすの息にして、形をなす物は必(かならず)限り有と知へし。形をなさゝる真のいきは、常住不変にして、限り無き故に、古事記神代巻に、天神七代は形なき息にして、隠身とある。形なき神なれは、不去不来也。神代の神は遠きに非。必(かならず)、今日に有(あり)。国常立より下(し)もの神は、形を現すのいき故に、有去有来故に形を現すのいき盛者必衰にして、必す限り有。形なきのいきは、不去不来にして、限り無きか故に、上ののい音のいきは、空中の水灵にして、御身(みみ)を現(あらは)さるゝる。天津神の故に、限也の法則なし。今、此のの音は、形現すの地神のいきにして、来る有、去る有。故に、限也と有。実に、神仏の法(の)りは、理(コトハリ)一にして、形なきの本来の真如のいきは、四相のうつさゝる処。形なすの凡情の波浪の息は、有為にして、四相うつされ来る有、去る有。今、此稲荷の古伝に占るに、無生より現るゝ生、無形より顕すの形、いきは、盛者必衰会者定離は、神仏の二道 寛狭の異あれとも、其法則(のり)違(たがは)さること、古伝にて有て明か也。今、の音は、形なきの火水凝て、形を現すの息のの音故に、限(火切)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.472-473)


◎言霊
限(カキル)は、物の極るを云詞也。今、は暉く火の灵にして、古事記神代の巻の、天照大神也。は月読の尊にして、是(これ)を地神の部に入(いれ)、形をなし、初にして終りをなす。隠身(シヲ)在(まします)天神の如くには非。形をなす物は、必(かならず)初め有。又、終り有。朝 東に暉て、夕べに西へ入。是(これ)、形有の相(すがた)也。故に、今(いま)形顕すの、暉火灵の音に限ると也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.477)


◎言霊
為限(シキル)。シキリシキルと活用(はたらき)て、は印(シルシ)のこと。は根のこと。形なきの水灵は、本来寂然(せきぜん)として為限(シキリ:水切)なし。形なす昇水は、火限(カキリ:火切)有。故に、空水は形無故に、かぎりをなさす。鳥は形無き空水をかける故に、水切なけれは、又無礙(むげ=とどこおらせる障害がないこと)なり。形現すの水は、水限なす故に、物に障へられて、舟に乗らされは渡られす。形現はすの水のゆゑ也。有所あり、無き所あり。古今集恋の部に、流れては妹背の川の中に落る吉野の川のよしやよの中、と読たる如きは、水は水切をなして、物を隔る。故に、シキルと云は、襖屏風に至るまても、水の流るゝ如くにする。是を、シキリと云う。俗に、水際(キハ)を立ると云。形現すの水は、必(かならず)しきり有。必(かならず)かきりをなす。今、の音は昇水の灵にして、形現はすの水故に、今シキリなりと有。形現す物は、神か自在の日月すら、雲霧に覆はるゝ。况(いは)んや、余の物に於ておや。形無き本来の水火には、去るも無く、来るも無く、生もなく、滅もなく、只(ただ)自然たるのみ。既に、上のは形現するの火なるか故に、火切(カキリ)也と有。今、此は、形現すの水なるか故に、水切(シキリ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.487-488)

丸窓と満月


記事更新日:2026/08/08

キ(氣)とイキ(息)

◎言霊
氣()、則(すなはち)、水火(イキ)也とは、水火すてに凝て、浮ひ出るのいき也。今にて云は、日輪太神宮の出玉ふ処故に、雲霞も霧も晴()るゝなり。雲(くも)霞(かすみ)霧(きり)と云も、理(ことはり)は同くして、いき凝て雲となり、かすみとなる。是、天地のいき也。ゆゑに、カスミの反キリの反クモの反。総(すべ)て、日月もいき、又雲霧も氣。そこは同じ理なれとも、日月と雲霞霧と同しやうに扱ふへからす。同じ天地の氣なれとも、神灵の在(ある)と不在(あらざる)とあり。氣は天地の氣同しけれとも、非情有情の差別あり。神灵の在(ある)と不在(あらざる)とを能(よく)知り、能(よく)教るには、神道と仏道なり。儒はしからす。顕伝。更に、儒道を学すして盲説を吐。実に笑ふへし。聖人の一罪人なり。兎角、其道の蘊奥(うんのう)を極めすして、其道を論すへからず。又或曰。今(いま)此の音は、影の火の灵と有て、真(まこと)の火に非す。夫(それ)を何そ日輪と云や。答曰。前に数々解くか如く、真の火に形見へす。形をなす火は、火の用にして、則(すなはち)影也。其形なすときは、火水二つ與みされは、形をなさす。今、此の音は、火水凝て形をなす音の故に、影の火の灵にして、氣なり。こゝに心得のあるは、氣に又(また)二種あり。形(かたち)なき真(まこと)の水火の躰を、氣(イキ)と云。又、形をなす火水の用(はたらき)をも、イキと云。しかれとも、火水のイキと云ときは、只と云て、を云(いは)す。又、形をなす火水の(はたらき)を氣と云。たゞと云て、をいはず。爰(ここ)を以(もて)差別を知るへし。今は、影の火にして、火水の用(はたらき)の氣(イキ)の故に、只の音に氣也とあり。の音には命也、息也と有て、形無きのいきのを云。万物、イキならさるはなし。人も、草木も、皆イキ也。故に、天ノ常立の反なり。国ノ常立の反也。天ノ常立の神は、古事記に顕して、隠身(ミヲカクシ)玉へりと。是、無きイキ(水火)なり。又、国の常立の神は、日本紀の最初に挙て、形を顕す。イキの神の本となす故に、形無き天ノ常立は、空中の水灵のイキ也。形有の国ノ常立は、暉く火のイキ也。形無きもイキ、形有も共にイキなれとも、形無きをと云(いひ)、形有をと云(いふ)。其れを合せて、又イキと云の語をなす故に、の音に息の字を仮る。の音に、氣に字仮り用ゆ。仮字するにも、素(もと)より其心得有りと知るへし。前に云通り、万葉集の歌の仮字とは異なると知るへし。偖(さて)、今此の音は暉く火の一行にして形無、天地のいきより形現せる氣なりと知るへし。故に、今の音に氣也と有。又、影と云に二種あり。正火より出る影と、影より出る影有と知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.470-472)


◎言霊
形をなさゝる真のいきは、常住不変にして、限り無き故に、古事記神代巻に、天神七代は形なき息にして、隠身とある。形なき神なれは、不去不来也。神代の神は遠きに非。必(かならず)、今日に有(あり)。国常立より下(し)もの神は、形を現すのいき故に、有去有来故に形を現すのいき盛者必衰にして、必す限り有。形なきのいきは、不去不来にして、限り無きか故に、上ののい音のいきは、空中の水灵にして、御身(みみ)を現(あらは)さるゝる。天津神の故に、限也の法則なし。今、此のの音は、形現すの地神のいきにして、来る有、去る有。故に、限也と有。実に、神仏の法(の)りは、理(コトハリ)一にして、形なきの本来の真如のいきは、四相のうつさゝる処。形なすの凡情の波浪の息は、有為にして、四相うつされ来る有、去る有。今、此稲荷の古伝に占るに、無生より現るゝ生、無形より顕すの形、いきは、盛者必衰会者定離は、神仏の二道 寛狭の異あれとも、其法則(のり)違(たがは)さること、古伝にて有て明か也。
(山口志道「言霊秘書」p.472-473)


◎言霊
息の終也。このの音は、無(ナキ)こと故に、出入のイキ、終りは消へ去って無に至る。是を、無き灵と云。上に解か如し。本来のイキは、終るものに有らされとも、形(カタチ)顕(アラハス)処(トコロ)のイキの終り也。日月、朝夕に出入するか如しと知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.512)



新緑



記事更新日:2026/09/13

オニ(鬼)とカミ(神)

鬼(オニ)は、オニの反にして、出息なり。陰(ミツ)なり。カミの反にして、入息なり。陽()なり。ニ、ミは呼吸の水火(イキ)にあり。出息は己か息(イキ)にして悪なり。是を鬼(オニ)と云。入息は天地の氣(イキ)にして善なり。是を神といふ。鬼神、原(モト)一にして両義に別る。鬼神は遠にはあらす。常に己か呼吸(コキフ)の中に有といふ御伝なり。
(山口志道「言霊秘書」p.145-146)


太極図


記事更新日:2026/07/12

ホノメク(火浮)とトカル(尖)

◎言霊
火浮を、ホノメクと訓(よむ)なり。朝日の正(まさ)に出(いで)んとするとき、東天暉(かかや)き初(そむ)るをと云。開けは、ホノメクと云。只、開合にあり。天の日の廻ること、メクは草木芽をふかんと欲て、自然にふくるゝを芽與(メクム)と云。又、日の出んとして暉きめくむことを、ホノメクと云。故に、俗に日のめかさすと云。天の火(日)の発する始めゆえに、ホノメクことをと云也。
(山口志道「言霊秘書」p.387)


◎言霊
尖は、トカルと訓(よみ)て、ホノメクと同義にして、暉(かかや)き初(そむ)ることなれとも、これは長するとなることにして、月輪の初て出んとするとき、天の暉くこと故に、月のことをスルト云。同しく、暉き初ることなれとも、ホノメクと云は、火の暉き初ること。トカルと云は、水を宰りてかゝやくことなり。然し今、正火の灵に在て、は火の灵なるを、水を宰て、かゝやくの、尖(トカル)のと云は、水火にかゝはりて云には非す。物の初をと云より、月の出るときに、東天のトカルと云こと也。
(山口志道「言霊秘書」p.388)


朝日



記事更新日:2026/07/11

コメ(米)

◎言霊
は五穀也。コメの反にして、五穀の灵と有。総(すべ)て、此の音は、朝より暮に至るの義と有て、火の灵にして、物を明に分る。水を以(もて)物を煉り束子(たばね)、火を以(もて)物を開き分つ。五穀は冬の陰にひそまりて、春の陽より開き、夏に至て花咲、秋になりて実を結ふ。其ときは、一粒万倍にして、年々其種を分る。故に、は五穀の灵と有。コメと云も、は凝こと。は回ことにして、一つのこりより、万倍と回るより付(つけ)し名なり。
(山口志道「言霊秘書」p.459)


稲穂


記事更新日:2026/07/07

ホチ(ヽ)

◎言霊
天地も万物も、其始はみなホチ也。天地の始を、日本紀神代の巻に、渾沌たること鶏の卵()の如しと、一物のホチより天地と顕るゝ。ハハの胎内に一物のホチこりて、其ホチより分て五躰となる。又、一粒の籾のホチより花さき、実()のる故に、此のの音は、万物の始に起る。故に、五十音の起りにて、最初に位す。
(山口志道「言霊秘書」p.387)


卵



記事更新日:2026/09/13

マエ(前)とウシロ(後)

◎言霊
背(ウシロ)とは、は起言にして省き、は水の灵、(カタマル)こと。則、水の凝()る処也。此の音は、火の為に水凝()らされて昇る音の故に、ウシロ也とある。其水の(カタマル)処をウシロと云て、後(シリヘ)のことにするは何如ん。先(まづ)、五躰に当てゝ云はゝ、腹は前にして火、背は後にして水故に、暑氣を凌(しの)かん為に風を受けるときは、必(かならず)背に受る。又、寒氣を除かん為に火を受るときは、腹に受る。これ自然の天理なり。山城の国と云も、山をシリヘにするより付けたる名也。故に、此一音に限らす、惣(すべ)て此一行は昇水の灵にして、水を宰る故に、ウシロ(背)をと云と知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.459)


◎言霊
背(ウシロ)の語は、の音の所に解き終る。顕云。背は也。腹と與むの名也。
(山口志道「言霊秘書」p.465)


◎言霊
天地の中に、万物右左なき物なし。其右左有は、手()に有らさるものなし。天子の四隅を、左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武と右左有(あり)。
(山口志道「言霊秘書」p.501)

四聖神


◎言霊
前(マエ)也。行は、惣(すべ)て前の義なりと。行は、後ろを宰るとある。先(まづ)、前(マヘ)とは、は向也。は、を移せし音也。実は、也。は搦ことにして、向ひ搦む処を前(マヘ)と云。衣の前と云は、右と左との搦む所を云。家の前と云も、戸扉二枚向ひ搦む処を云。君、南面にして日に向ひ、搦み玉ふ故に、南を前とし、大和(ヤマト)の名ありとは、向ふ也。又、山城(ヤマシロ)の名あり。シロの反にして、ウシロ也。山に向ひ、又山を背にするの名也。又、マヘの反にして、ミル也。見る方を前と云。然れとも、マヘの語は、ムカヒ搦むと云か本義也。今の音は、火の水中に搦むの音故に、マヘ也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.504)


◎言霊
所(トコロ)とは、與み褐むと云語にして、動かす、そこに止るを、トコロと云。今、此の音は、水中に火與みて、與み褐る故に、所(トコロ)也と有。上来、は、統(すべ)て水中の火灵にして、一より百千に及ふ父の灵なり。行は、昇水の灵にして、背(うし)ろを宰りて母の灵也。故に、育つの義をなす。上のの音に、育つ也と有。今、行は前を宰りて、父の灵なり。故に、一物のホチ)、種(タネ)を宰りて、百千の数をなす。是、父の灵なるか故に、梵語に父をタヽと云。皇国にては、父と云。又、ツヽと云。又、テヽと云。又、トヽと云。は、皆父の灵也。皆父の灵也。故に、一より百千に及ふの義をなす。天竺と皇国と共に、音の国なるゆへに、同し天地のうちなれは、自然と灵合有と知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.504-505)


衣の前(エ)とは、右と左との搦むところ

着物の衿


家の前(エ)とは、左右の扉搦むところ
家の門


事更新日:2026/09/01

シロ(白)

◎言霊
の音は白(シロ)也。総て、此五十連の音を解くに、其音々々に盾(したご)ふて、能(よく)音の全躰を定めて解くことにして、先(ま)つの音なれは、おこると云か全躰也。今此の音は、上のの音の火と、の音の水と與て、火、水中に隠れて、昇水と共にのほる水の音なれは、昇ると云か全躰也。昇ると云に付て、出る法則あり。の音の火との音の水と與みて、の火、の濁水の中に隠れて、昇水と水の昇ると云音なれは、昇る水に付て、出る法則あり。又、火の隠るゝと云に付て、出る法則あり。又、火は入、水は昇るの両義をかねて、出る法則あり。上に形無也とあるは、火の形隠れたるによりて、出る法則なり。又、揃(ソロフ)と有は、火は水の為に水中に入と、水は火の為に昇ると、両義に付て出る法則なり。如此、の一音の本躰に付て云こと故に、其差別の有と知るへし。已下の法則も、如此。今、白キ也とある法則は、昇る水の灵の義にして、昇れは水は必(かならず)澄み、清きなり。上のラリルレロの濁水の音は、濁(ニコル)故に降(クタル)水也。今、の音は昇る水の故に、清して、白(シロ)也の法則出る也。ハハソバ(柞素葉)などゝ云ときは、は白きことにして、(葉)の白(シロ)きと云こと。
(山口志道「言霊秘書」p.458)


雲



記事更新日:2026/07/03

ソロフ(揃)

◎言霊
揃(ソロフ)と云は、左右有(ある)語にして、此の音は、火、水中に降りて火垂(左)をなし、水は昇水にして水氣(右)なり。其形を見て知へし。此火垂と水氣と有故に、の音に揃(ソロフ)也と有。水は水氣にして昇り、火は火垂にして降るへきもの。此左右あるにあらされは、揃(ソロフ)とは云れす。主は左(火垂)にして、能(よく)臣の水に入て動かす。臣は君の火の為に動かされて動く故に、君は舩(ふね)、臣は水と云。夫(ヲツト)は左(火垂)にして、妻の水に入て動かす。妻は夫の火の為に動て働く。是、左右ありて揃(ソロフ)と云(いふ)物也。もし、君の火動いて、臣の水動かさるときは、君臣の道違ふて失ふ。夫(ヲツト)の火動きて、妻の水動かさるときは、夫婦の道欠けて、右左の理を失ふ。しかる時は、国家治らず。是を揃はぬ(ソロハヌ)と云。惣(すべ)て、火は動さるもの、水は動流るゝもの、是天地開闢の法則なり。若(も)し、火の動くときは、必ず損失あり。もし、水動き流れさるときは、無益也。火、水に垂りて動かし、水は火の為に動き昇る。是を右左揃ソロフ)と云なりの音は、火水の灵にして、火、水中に降りて形を隠して動かす。水は昇る水にして、動きて形を顕すのの音故に、揃ふソロフ)也とある。
(山口志道「言霊秘書」p.456-457)


ひな人形



 空海は右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手に数珠を持っている。

空海



記事更新日:2026/07/01

ヒタリ(火垂)とミキ(水氣)

◎言霊
揃(ソロフ)と云は、左右有(ある)語にして、此の音は、火、水中に降りて火垂(左)をなし、水は昇水にして水氣(右)なり。其形を見て知へし。此火垂と水氣と有故に、の音に揃(ソロフ)也と有。水は水氣にして昇り、火は火垂にして降るへきもの。此左右あるにあらされは、揃(ソロフ)とは云れす。主は左(火垂)にして、能(よく)臣の水に入て動かす。臣は君の火の為に動かされて動く故に、君は舩(ふね)、臣は水と云。夫(ヲツト)は左(火垂)にして、妻の水に入て動かす。妻は夫の火の為に動て働く。是、左右ありて揃(ソロフ)と云(いふ)物也。もし、君の火動いて、臣の水動かさるときは、君臣の道違ふて失ふ。夫(ヲツト)の火動きて、妻の水動かさるときは、夫婦の道欠けて、右左の理を失ふ。しかる時は、国家治らず。是を揃はぬ(ソロハヌ)と云。惣(すべ)て、火は動さるもの、水は動流るゝもの、是天地開闢の法則なり。若(も)し、火の動くときは、必ず損失あり。もし、水動き流れさるときは、無益也。火、水に垂りて動かし、水は火の為に動き昇る。是を右左揃ソロフ)と云なりの音は、火水の灵にして、火、水中に降りて形を隠して動かす。水は昇る水にして、動きて形を顕すのの音故に、揃ふソロフ)也とある。
(山口志道「言霊秘書」p.456-457)


◎言霊
の音は、火水の灵にして、右(みき)左(ひたり)を備ふミキとは水の氣と云こと。ヒタリとは火の垂るゝこと。此火水の二つ有物を、と云。今、人の手と云も、ミキ(右)ヒタリ(左)有故に、付し名なり。尤、本語はウテは起言にして省、たゞと云。惣て、右左有物は、足も皆(みな)手なり。上のアイウエの処にて、解か如し。然れとも、勝れたるに名を負すか国風なり。兎も角も、此右左(みき・ひだ)り有物は、惣てと云。故に、此の音を扱にも、右に有て左(ひだ)りへ反り、左に有て右に反り、左右共に用(はたら)きをなす。或は、有りと云て無きに反る。或は、語の中間に居て、上を奉て下を起し、又下の留に居て、上の語に反る。新古今の哥に、逢坂の関に流るゝ岩清水いはて心に思ひこそすれ、と。此イハテは、有ることを無きに反る辞にて、いはす心に思ひこそすれと云格になる也。又、古今集に、古へになを立帰る心哉恋しきことに物わすれせで。此セテは、下の留に在て、上の句に反る格也。君を恋しきことに、忘するゝこともなくて、昔逢し心地からすると、物忘れせて、古へになを立反ると云心也。如是、上の語を奉て、下を起し、下に在を上に反る。有ると云て、無きに反るの格をなす。是、の音に、右左有か故也。故に、今の音に、右左と有。
(山口志道「言霊秘書」p.499-500)


◎言霊
児の灵也。父母の水氣、火垂あるか故に、物こと育つ。故に、に児の灵有也。如是、惣(すべ)て右左有ものは、皆也。天地の中に、万物右左なき物なし。其右左有は、手()に有らさるものなし。天子の四隅を、左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武と右左有(あり)。又(また)、軍事にも、追手、搦手の左右備はる。碁将棋等にも、右左の備あるときは堅固也。其れを、手()と云。然れとも、右左乱れて、全(まつ)たからざるをの無きと云。又、手習(テナラヒ)と云も、右左に幷(なら)ふこと。今は父にならび、母にならふ故に、児と云。父の火垂にならはす、母の水氣に並はさるときは、非(あらざる)故(ゆゑ)に、児にも非す。人の児としては、能(よく)父母に幷(なら)ふへし。父母の水氣、火垂に幷(なら)はさる時は、譬へ肉身を分つとも、児にはあらす。能(よく)父母の右左に幷(なら)ふの謂(いひ)あるか故に、児と云。故に、火水の灵のの音は、則水氣、火垂なるか故に、児の灵也とある。今、の音は一つにして、水氣、火垂ありて、合せて百千の数をなす。所謂(いはゆる)孝は、百行の本と云か如と知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.501-502)


ひな人形



 空海は右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手に数珠を持っている。

空海



記事更新日:2026/08/25

コマカ(香)とニホヒ(香)

◎言霊
香(コマカ)とは、水火の凝搦より付し名也。故に、草木の躰に火水の二つこるか故なり。若(もし)、水火離れたる朽木には、香()まかなることなし。コマカとは、香(ニホヒ)のこと也。ニホヒとは、二つのオヒオフと云こと也。故に、オヒオフと云ゆへに、水火離れたるものに、香(にほ)ひ有ことなし。花に香(ひほ)ひ有も、火水のいきニコルのゆゑなり。枯たる木には、火水のニコルこと無きか故に、香(にほ)ひ有も、火水のいきニコルのゆゑなり。枯たる木には、火水のニコルこと無きか故に、香(にほ)ひ有ること無也。如此、同しコマカと云語(コトノ)はなれとも、上のコマカは数の多きこと、此コマカは香(にほ)ひのこと。差別替るやふなれとも、基本は皆(みな)水火の二凝(ニコルと云より外の法則なし。故に、同し一音に細かなり。又香(こま)か也と有る。実に奇々妙々たること也。天地自然の水火の與み離れより、其謂(いは)れをなすと思ふへし。
(山口志道「言霊秘書」p.454-455)


ジャスミン


記事更新日:2026/06/29

コマカ(細)とコマカ(香)

◎言霊
コマカ)とは、は凝ること。は円(まど)かのこと。は数のこと。一切の物こるときは、必(かならず)数多くなるもの也。基(もと)、天地水火の二つなれとも、子(こ)は五人十人となる。孫彦となると、大壮の人数になる。一粒のもみも、水火こりて百千に及ひ、濁るものは必(かならず)数をなす。粉()と云も、細かなること故に、此凝るの義より、コマカ也とあり。
(山口志道「言霊秘書」p.454)


◎言霊
香(コマカ)とは、水火の凝搦より付し名也。故に、草木の躰に火水の二つこるか故なり。若(もし)、水火離れたる朽木には、香()まかなることなし。コマカとは、香(ニホヒ)のこと也。ニホヒとは、二つのオヒオフと云こと也。故に、オヒオフと云ゆへに、水火離れたるものに、香(にほ)ひ有ことなし。花に香(ひほ)ひ有も、火水のいきニコルのゆゑなり。枯たる木には、火水のニコルこと無きか故に、香(にほ)ひ有も、火水のいきニコルのゆゑなり。枯たる木には、火水のニコルこと無きか故に、香(にほ)ひ有ること無也。如此、同しコマカと云
語(コトノ)はなれとも、上のコマカは数の多きこと、此コマカは香(にほ)ひのこと。差別替るやふなれとも、基本は皆(みな)水火の二凝(ニコルと云より外の法則なし。故に、同し一音に細かなり。又香(こま)か也と有る。実に奇々妙々たること也。天地自然の水火の與み離れより、其謂(いは)れをなすと思ふへし。
(山口志道「言霊秘書」p.454-455)


◎言霊❸❹
香(コマヤカ)と香(コマカ)。先に解か如く、こゝに、コマヤカコマカと、二つの法則は別義に非す。アヤに、の音加ふると加へさるとの違ひと知るへし。後選集に、蝉丸の歌、是このと、の音を加へたるは、只(ただ)語(ことば)を文(あや)にかさるのみ。別に、心得あるに非。唯(ただ)、語の文(あや)なすと、文(あや)なさゝるの違ひと知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.475)

籾

記事更新日:2026/07/20

トコロ(処と所)

◎言霊
トコロ)とは、與み凝りることにして、外へ移らす凝ること也。故に、文字を仮るにも、今の字と、御所なとのの字と、扱ひか違ふなり。の字は、方所連続して、あて所のこと。此当り、爰(ここ)の当り、と云ことになる。今此処と云。仮字の扱は、住む処と連続して外へ移らす、しかと定めたるときにつかふ語故に、今住処の字を仮り用ひて、処なりと有。これ凝りるの音の故に、此音に処なりと有。
(山口志道「言霊秘書」p.454)


◎言霊
所(トコロ)。の音は、火水の灵にして、水の動きて形をなすもの。其水中に火の與故也。其故に、今所なりとあるトコロとは、水火與み凝りることなり。しかるに、こゝに心得あり。同し水火の與み凝りるなれとも、の音の水火の凝りは、火、水中に與み凝りて動ざること。の音の火水の凝りと云は、胎内に凝りてあれとも、表に見へず。表は只(ただ)、昇水の灵にして、水の用(はたらき)ばかり。火は胎中に隠れて、水を宰る。同し火水の凝ることなれとも、の音は凝りて動かざる義より、処(トコロ)と云(いふ)法則出る故に、仮字するにも、住処の処字を借る。今、の音は、火、水中に凝れとも、火は見えす。水の用(はたらき)ばかりに故に、トコロと云(いふ)法則有て、方所の所の字を借る。当て所とする位(くらひ)の時は、火水の凝ると云より外なし。
(山口志道「言霊秘書」p.461)


◎言霊
所(トコロ)とは、與み褐むと云語にして、動かす、そこに止るを、トコロと云。今、此の音は、水中に火與みて、與み褐る故に、所(トコロ)也と有。上来、は、統(すべ)て水中の火灵にして、一より百千に及ふ父の灵なり。行は、昇水の灵にして、背(うし)ろを宰りて母の灵也。故に、育つの義をなす。上のの音に、育つ也と有。今、行は前を宰りて、父の灵なり。故に、一物のホチ)、種(タネ)を宰りて、百千の数をなす。是、父の灵なるか故に、梵語に父をタヽと云。皇国にては、父と云。又、ツヽと云。又、テヽと云。又、トヽと云。は、皆父の灵也。皆父の灵也。故に、一より百千に及ふの義をなす。天竺と皇国と共に、音の国なるゆへに、同し天地のうちなれは、自然と灵合有と知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.504-505)


日本家屋


記事更新日:2026/09/01

ウツワ(器)とハコ(箱)

◎言霊
器(ウツハ)とは、形をなすものは皆、水の凝(コリ)にして、也。焼物、陶物をなすにも、水を以て土を延して、のち形を文(あや)とり、それより火に入て是を焼く。如此、水火凝て一の器をなす。箱を作るも、木を水火に與み合せて、箱の形をなす。板は水なり。釘は火なり。其水火に與み合せて、箱の形をなす。則、水火の和(やはら)きこるなれは、器も則(すなはち)人也。故に、屢(しばしば)説く如く、形をなす者は火水のこりにして、皆人なれはこそ、此一音に器也とある。又、総(すべ)て人の灵とある。押て知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.453-454)


◎言霊
器(ウツハ)と有(ある)意(こころ)は、一休の哥に、心こそ心迷はす心なれ仏も下駄も同じ木の端、と。本(もと)は一本の木なれとも、今仏像と下駄との差別をなす物は、火の用(はたらき)也。ノミノコキリの類ひ、皆な火也。其火を以(もて)、仏像と下駄との差別をなす。又、火を以(もて)見分る。火を以(もて)分て作る。此故に、に器(ウツハ)也。つゝまる処は、上に解く如く、形(カタチ)をなす義より、器(ウツハ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.463)

陶芸家

 
記事更新日:2026/07/07

ヒト(人)

◎言霊
人(ヒト)の語は、は火也。は與こと。火と水と和らき與みて、火水のいきのを能(よ)く行ふ者を人と云。人と云名は、只(ただ)我等に限るに非(あらず)。万物みな人(ヒト)なり。水火の二(ふたつ)のを備ふるが故に、其そなへたるを行はさるときは、人もひとに非(あらず)。此人間は、身に此息息(いい)のを備ふるか故に、能(よく)五十連の音をなす。此五十連の音は、我身の息のイキ也。又、教也。此故に、鳥獣に勝れて能(よく)言語の差別をなす故に、能(よく)人の名をおはす。人と云は、水火和らき與と云語にして、万物皆人なれとも、火水のいきを備へなから、いきの道をしらす。いきのを全く行はさる、虫か魚かと云(いひ)て、人と云(いは)ず。古人は、此五十連の息のを備へて、能(よく)此を知り、の如く是を行ふ。故に、人と名付る也。故に、父母兄弟貴賤上下等の差別を知り、礼をなす。若(もし)、此備へたる息のに違ふて、貴賤の差別なく、父子兄弟の信義を失へは、鳥獣に同しくして、人に非す。鳥獣といへとも、此を備る。故に、鳩(は)とに三枝の礼あり。鳩に反哺の孝あり。これ自然のなり。しかれとも、其全(まつた)からさる故に、行ふことも又全からす。故に、人の名をおはず。人の名は形に非す。其備たると、行ひの全き故に人と云に、今五十連のいきのの音に、ひと也と有。ト子(ね)リ抔(など)と云か如し。
(山口志道「言霊秘書」p.450-451)


◎言霊
人(ヒト)は、天地の水氣、火垂より生るゝか故に、ヒトと云。天の水氣斗(ばかり)にて、地の火垂なけれは、緒生の縁かけて、人生せす。又、地の火たり斗(ばかり)にて、天の水氣なけれは、能生の縁なくして生せす。天地の水氣、火垂有か故に、人を手()と云。故に、の音、人(ヒト)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.500-501)


◎言霊
火の水に與むの、水中の火灵なるか故に、人(ヒト)也と有。火水の與むを、ヒトと云か故に、の音に人(ヒト)也と有。白ふ人、黒ふ人、仲ふ人なとのは、皆人(ヒト)のことと思ふへし。
(山口志道「言霊秘書」p.503)

ちぎり

 
記事更新日:2026/08/27

ナキ(無)とム(無)

言霊
無は、ナキナクと用(はたら)きて、は火。水は時有て、形顕して目に見ゆれとも、和の理は氣にして見へす。たとへは、土偶人の如し。土の凝なれとも、土凝て人の形となるは見ゆれとも、其凝は氣にして見えす。今、水火の和したる形、本来火水の氣の和(やはらぎ)は見へす。本来、火水の凝の理(ことはり)は見えす。今、此の音は、火水の和らく形を云には非。火水の氣の和くをと云。即、無の義にして、氣の双(なら)ふこと。其氣の並(なら)ふは、氣有て形なし。目に見えさることの音のゆへに、惣て目に見えす、形顕れぬを無(ナキ)と云。即、也。しかれとも、見えさる氣も、並ふ理も、是は無にして有なり。如(も)し、其理を尽すときは、重々無尽にして不可解。何れ、有とも、無(なし)とも定め難し。しかれとも、今は和くの理ありて、其形無くして、見えさるの一反より、の音に無(ナキナク)也とある。
(山口志道「言霊秘書」p.446)


◎言霊
無(ナキ)は、は凝(コル)こと。は暉く火の灵なり。水、火の中に凝ると云こと。は、惣て火中の水灵にして、水の火に凝るの一行なり。其一行の中にても、此一音は中言に在て、余の四音に替て勝るゝ。水、火中に與み凝れは、火の為に水消為す。たとへは、鼎(かなえ)に水を入て火をたけは、竟(つひ)に水は火の為に消散す。是をナキ)と云。又、火も水中に與み凝れは、火の形を隠す。是、氣の凝(こる)故(ゆゑ)なり。惣て氣こり、これは其形を隠す。是をナキ)と云。今、の音は、火中の水の凝り究るの音の故に、は無き也と有。則、と云の一言にて、無()の語に用ると知へし。是、與るのの音なるか故なり。是、無の字にナキと訓するは、和漢の灵合なり。
(山口志道「言霊秘書」p.510-511)


土偶と埴輪


 
記事更新日:2026/09/11

クロ(黒)とゴシキ(五色)

言霊※ワ行のウ
の音は黒(クロキ)也。此言に神秘(又にくし)あれとも、暉く火のの音、下に至て解へし。
(山口志道「言霊秘書」p.402)


言霊
黒(クロキ)也。は火水の灵にして、正中(まなか)に位し、火水の根()に舫ひて、文(あや)分らぬこと。時に合はすれは、夜の八つ時なり。故に、黒(クロキ)也。クロは與こと。(かたまる)ことにして、與みまりて、文(あや)分らぬこと。染物の黒と云も、藍の與みて、舫ひ極たる色也。是をクロと云は、委しくは、下(しも)のの条下にて知るへし。しかれは、今のは、火水の正中に與舫ひて、文分らぬを黒き也とある。是を、バ玉と云は、は文分らぬこと也。こゝに不審のあるは、火水與み舫ひ、文分らぬことならは、何そ黒きと云や。答て曰。クロは水なり。然れは、水になりて火の形なし。火の形なけれは、火水の與とはいはれす。又問。水火與たる形見ゆるならは、文分れて、くみ極るとは云れす。其文分らぬ黒きは、又水の影にあらすやと云に、曰、黒きは水なりといへとも、火を與の水にして、水の一辺に非す。男女の交りは、火水の極りなれとも、其くむ極りに至れは、男の火は女の水中に形を隠して見えぬか如し。そこて、は玉の黒き也。
(山口志道「言霊秘書」p.440-441)

時刻


◎言霊
暗(クラキ)也。バ灵の闇なとゝつゝくは、此故也。
(山口志道「言霊秘書」p.441)


◎言霊
は黒(クロ)也。の音に解くを待へし。
(山口志道「言霊秘書」p.467)


◎言霊
は黒(クロ)也。の音に解くを待へし。
(山口志道「言霊秘書」p.470)


◎言霊
の音に、暉火灵とありて、何そ黒きと云也。解して曰。クロキと云語はクロキクロシなとゝと用(はたらき)て、は與(クム)こと。カタマル)こと。與みることを、惣(すべ)てクロと云。故に、吾仏性の相の上にては、青黄赤白の四は、顕色と云を、黒色の一は省く。其故は、黒色の一つは、四色の外に有ものに非。赤色與みれは、其れを黒(クロ)と云。黄色與みれは、是も亦黒(クロ)と云。青白の二色も亦然り。何れの物にても、與みるを、黒(クロ)と云と知へし。例せは、色の黒き人も、黒色の人に限らす。面の色の赤きの深(ふかき)を、黒と云。或、クロフト(黒人)抔(など)と云も、其業に與み褐りたるを云。シロフト(白人)は、其裏也。此クロとは、黒色の深きことばかりに非す。一切の物、與みりたるを、総てクロと云。今、の音は、暉く火の灵にして明らかなるを、クロキ也、クラキ也なとゝ有。法則(のり)を知らさる人は、知り難きことなれとも、火の暉く用をなすは、火凝りてるの最上也。石中より火の出るも、余に合せて凝故に、暉き出る。顕云。此説取に足らす。秋になり、陽の氣、陰中に褐るか故に、かゝやく。是を、稲妻と云。如此、火はこり凝るか故に、暉くの用(はたらき)をなす。今、クロとは、物に與みるの理(ことはり)なるか故に、暉く火灵のの音に、クロキ也と有也と思ふて知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.475-476)


◎言霊
黒(クロ)也。語を解かは、の音の下に解か如し。一物のホチ)、與(クミカタマル)物を、クロキと云。是、火中に水與(クミカタマル)故に、黒(クロ)也と有。偖(さて)、爰(ここ)に不審の有は、の音は、火中に水與(クム)の音なり。しかるに、無()也、空(ムナシ)也、黒(クロキ)也と有ときは、聞えかたきやうなれとも、上に解如く、ナキの名()はコルこと。は、暉(カカヤク)火の灵にして、氣(イキ)なり。イキの凝(コル)と云こと也。又、空(ムナシ)きと云は、睦むこと。は無きのこと。暗(クラキ)という云語は、クラシクラキと用(はたらき)て、は與(クム)こと。は省け。水火の與義をなす。しかれは、無きと云も、空きと云も、少しの違ひは有れとも、是みな與むの義也。しかるに今、世に消失たることをナシと云。其を、暗きと云は如何。此の音は、火中に水與(クム)の音にして、火中に水與むときは、即(すなはち)消失(ウシナヘル)也。先に解か如く、鼎(かなえ)の水の火の為に、きえうせるか如し。惣て、万物與み究るとき、消失せるもの也。一粒の米も、天地のいきの凝なれとも、凝り究れは、水氣放れて、かれかれになり、消失(キエウスル)也。花も、陽の火に凝()らされて開くも、凝り究れは、散失(キエウセル)也。春来春去、朝あれは夕部あり。人も齢ひ究れは、終に消へ失せて、無き灵となるなり。是、盛者必衰の理(ことはり)なり。惣て、天地搦み、物に與み、竟(つひ)に放るゝの法則、自然の理(ことはり)ゆゑに、その自然の理(ことはり)を、天地水火を以(もて)教ゆるの皇国ゆゑに、文を綴るにも、此心を放れさるか皇国の風と知るへし。貫之等の古今撰集も、延喜帝の尊慮を其儘受て、撰集せし物故に、其古今一部は、始め有は必(かならず)終るの、盛者必衰の理(ことはり)を尽すか、撰集の大意也。始め、四季の部より年賀に至るまて、盛なることを知(しら)しめ、春は花咲、夏は郭公、秋は月、冬は雪を弄し、千代万代迄も、如斯有んと祝ひこめしは、年賀の部まで也。其より、離別の部を出し、此部より必衰の理(ことはり)を知しむ。其より、夫婦妹背の愛情を尽して、愛情の一部を立てて、竟(つひ)に死することを教へて、以(もつて)巻軸を収む。是、年賀迄の五部は、盛者の相を示し、其より雑哥に至るまで、必衰の理(ことはり)を知(しら)しめ、恋の一部は、人の意(こころ)の動くもの故、別して其義を明し、初め、文目も分ぬ恋もする哉と、初恋の哥を挙て、其より草々の妻乞歌を撰ひて、恋の終巻軸に至りて、妹背の山の中に落るの哥を以て、千代とも契りし妹背の中も、月重り年積れは竟(つひ)に別るゝ。これ、会者定離の相を示すの法則也。其外、源氏、伊勢物語等、種々の書に至るまても、盛者必衰会者定離の心を綴らさるはなし。是れは、皇国の書の亀鑑、是(これ)則(すなはち)天地陰陽の離合(くみはなれ)の理(ことはり)也。布斗麻邇のト(ウラヘ)こと、稲荷の古伝も、陰陽の離合(くみはなれ)より外なし。会者遂にハナルゝ故に、今の音は、睦むの義にして、火中の水灵なり。其睦み究れは、竟に形隠して、無()に至る。是を空(ムナシ)き也と云。是を、イキの終りと云。故に、の形顕せし、火水の與み究りて、其形を本源に隠して、黒き也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.513-515)


五色の龍

 
記事更新日:2026/07/27
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