2.稲荷の古伝について
二に、稲荷の古伝ちふものは、自然の神書(カミフミ)なることを説。それに、二つ始めに、古伝の来意を説。二に、古伝の一言の法則を説也。始めに、由来とは、太の朝臣安麿の古事記製作は、和銅四年(辛亥)の九月より始めて、同く五年(壬子)正月、上皇へ奉まつる。又、山城国稲荷の宮は、和銅四年(辛亥)二月の造営なり。是に依て、伏て考ふるに、古事記の製作はあれとも、若(もし)や言灵の道すたれて、末の代に渡らんかと恐慮りて、五十連の一言の法則と、水火(イキ)の形を記したるを、稲荷の神躰として納め玉ふかと見ゆ。是、志道の考也。然れとも、幾百年の間知人(しるひと)もなく、享保の頃、荷田の東麻呂、稲荷の古伝を社務より伝へらる。然れとも、時至らすして、其学ひを続人(つづくるひと)もなく、徒に荷田の訓之迄(まで)伝来して、訓之是を杉庵志道に伝へて、志道に至りて始めて、布斗麻邇の御灵に引合せて、稲荷の古伝は御灵より分れたる水火のイキの形にして、天地の氣を知の御伝なる事を悟り得たり。是に依て、今吾末代に有て、是を聞事を得たり。曰、何故に五十連の法則と、水火の形を稲荷の神躰とせしや。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反二と、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かた)ちは、此五十連の音也。故に、此五十音に、一言の法則と、水火の形(かた)ちを印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。
p.384
ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反ニと、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かたち)は、此五十連の音也。故に、此五十言に、一言の法則と、水火の形(かたち)を印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。
さて、稲荷の神に狐の仕ることは云何(いか)ん。先、此狐に二種あり。一に、キツ又(また)キツ子と云あり。形の別なるに非す。其業の異なる也。今の世になりては、共にキツ子と云(いひ)習へり。そのキツと号(なづ)くる者は、野狐也。
故に、万葉に、夜か明けはきつにはめなてくたかけのまたきになきてせなをやりつゝ。是等は、キツと云て野狐のこと也。漢名には、一名紫野。或る記に、古婬婦あり、其名 紫夜と云。生なから化して狐となる。自ら紫夜と称すと。分類聚に、野狐一名紫夜、尾をうちて火を出す。みな是らは、野狐のこと也。吾国にては、古は野狐を只キツと云て、キツ子とはいはす。其例、上に引(ひく)万葉集等の如し。
p.385
しかれは、後の世に及ひては、是等の法則乱て、野狐のことをもキツ子と云になれり。扶木集(扶木和歌抄)に、花を見る道のほとりの古る狐かりの色にや人まよふらん。是等は、野狐のことを狐とある。其外、本草網目、白氏文集なとに、キツのことをキツ子とかなが付てあり。然れとも、全躰はキツとキツ子と、元(もと)別なる者にして(顕云僻説笑ふへし和銅四年の勧請の稲荷なり夫に仕ふる獣の名を開闢より付てあるへきや又伝言灵の神獣を仕ふことはなにことそや可レ笑)、今、稲荷神のいつかはしめるキツ子にして、キツにあらす。名は替(かは)れとも、其形(かたち)見分難し。其業異(こと)なるによりて、名を別にするなり。先、キツ子と云名を解(とか)は、キは水火のイキのこと。ツは列ること。子は根にして、水火(イキ)の根につゝきつらなると云名なり。故に、命長くして、水火のイキを宰る神に仕ひ奉るなり。また、キツと云キは、つらなると云ことにて、人のイキにつらなりて、人をまよはす。又、タハムの三言を反すとツにして、たはむれて人を迷はすの名になる。是は、野狐の名なり。これ、形同しけれとも、業異なるかゆへ、名を別にする也。俗に考ふれは、人面獣心の如し。古言の法則なり。狐の鳴声を聞に、諸の獣にすくれて、イキにかしこきこと明著(あきらか)なり。如何と云に、彼(かの)狐の鳴声、クワンとなき、又コンとなく。是、カキクケコの音にして、アウムの二音に響かせ、カ行は暉火の灵にして、差別を宰る。アウムの二音、其躰空虚にして、無尽にしからしむるの音なり。故に、古伝にもある空中の水灵にして、無にして有なりと有て、故にア字本不生不可得有也と云も、又(また)此アウムの二音によりて無にあらす、有にあらす、不可得の音なり。
p.386
其、真言の金胎両部の曼多羅は、アウムの二音の外なし。アは胎蔵界、ウムは金剛界。アは躰にして、ウムは用なり。今、神代の学ひよりは、アは空水の灵にして躰、其まゝウムと水灵か火に入交て用となる。是を火中の水と云。故に、キツ子陰氣に惑ひて、声をなすときはクワンと云(いひ)、陽氣に惑して声を起すときはコンと鳴。これを俗人、狐のコンコンと鳴ときは福(さいは)ひ来るなとと云も、陽氣発するゆへなり。如レ此、自然と陰陽水火の理にかしこきこと、もろもろの獣にすくれたるか故に、イキの神の稲荷のつかはしめとなるも、亦(また)是(これ)自然の道理なり。顕云あまり長き解にて退屈せり。
二に、稲荷の古伝の法則を解かは、此言灵一言の法則は、稲荷の神躰にして、いきの元を尽し、音を活用(はたらか)しむるを、さとらしむるを、教ゆるの御伝なり。
(山口志道「言霊秘書」p.383-386)
記事更新日:2026/02/20二に、稲荷の古伝ちふものは、自然の神書(カミフミ)なることを説。それに、二つ始めに、古伝の来意を説。二に、古伝の一言の法則を説也。始めに、由来とは、太の朝臣安麿の古事記製作は、和銅四年(辛亥)の九月より始めて、同く五年(壬子)正月、上皇へ奉まつる。又、山城国稲荷の宮は、和銅四年(辛亥)二月の造営なり。是に依て、伏て考ふるに、古事記の製作はあれとも、若(もし)や言灵の道すたれて、末の代に渡らんかと恐慮りて、五十連の一言の法則と、水火(イキ)の形を記したるを、稲荷の神躰として納め玉ふかと見ゆ。是、志道の考也。然れとも、幾百年の間知人(しるひと)もなく、享保の頃、荷田の東麻呂、稲荷の古伝を社務より伝へらる。然れとも、時至らすして、其学ひを続人(つづくるひと)もなく、徒に荷田の訓之迄(まで)伝来して、訓之是を杉庵志道に伝へて、志道に至りて始めて、布斗麻邇の御灵に引合せて、稲荷の古伝は御灵より分れたる水火のイキの形にして、天地の氣を知の御伝なる事を悟り得たり。是に依て、今吾末代に有て、是を聞事を得たり。曰、何故に五十連の法則と、水火の形を稲荷の神躰とせしや。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反二と、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かた)ちは、此五十連の音也。故に、此五十音に、一言の法則と、水火の形(かた)ちを印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。稲荷と云名を説ときは、自(おのづから)其躰を知へし。先、稲荷の名を説(とか)は、出入の息の神なりと云こと。イはイキ也。
p.384
ナはナラブ也。リは出入のイキのリにして、イキナラブ リと云こと。息のならふとは、出入の息のならふリ故に、ナリの反ニと、出入の息の二つならぶを、名にせし神也。故に、稲荷(イ子ニナフ)の字を書、イ子ニナラフの文字をかる。イ子は水火の根也。荷(ニナフ)はナニナラブこと。出入の息の根、二つならふと云こと。イキの根は、即命也。故に、天地の水火(イキ)、万物の命を宰るを以(もて)、長命を願ひ、福(さいは)ひを求るは、此(この)いはれ也。爾(しか)れは、何(いづ)れより云ても、稲荷と云は、イキナラフと云こと。其(それ)イキノナラヒ也。形(かたち)は、此五十連の音也。故に、此五十言に、一言の法則と、水火の形(かたち)を印し、是を稲荷の神躰として玉ふ事なり。此ゆへに、イキの御伝には、此神にしくへからす。
さて、稲荷の神に狐の仕ることは云何(いか)ん。先、此狐に二種あり。一に、キツ又(また)キツ子と云あり。形の別なるに非す。其業の異なる也。今の世になりては、共にキツ子と云(いひ)習へり。そのキツと号(なづ)くる者は、野狐也。
故に、万葉に、夜か明けはきつにはめなてくたかけのまたきになきてせなをやりつゝ。是等は、キツと云て野狐のこと也。漢名には、一名紫野。或る記に、古婬婦あり、其名 紫夜と云。生なから化して狐となる。自ら紫夜と称すと。分類聚に、野狐一名紫夜、尾をうちて火を出す。みな是らは、野狐のこと也。吾国にては、古は野狐を只キツと云て、キツ子とはいはす。其例、上に引(ひく)万葉集等の如し。
p.385
しかれは、後の世に及ひては、是等の法則乱て、野狐のことをもキツ子と云になれり。扶木集(扶木和歌抄)に、花を見る道のほとりの古る狐かりの色にや人まよふらん。是等は、野狐のことを狐とある。其外、本草網目、白氏文集なとに、キツのことをキツ子とかなが付てあり。然れとも、全躰はキツとキツ子と、元(もと)別なる者にして(顕云僻説笑ふへし和銅四年の勧請の稲荷なり夫に仕ふる獣の名を開闢より付てあるへきや又伝言灵の神獣を仕ふことはなにことそや可レ笑)、今、稲荷神のいつかはしめるキツ子にして、キツにあらす。名は替(かは)れとも、其形(かたち)見分難し。其業異(こと)なるによりて、名を別にするなり。先、キツ子と云名を解(とか)は、キは水火のイキのこと。ツは列ること。子は根にして、水火(イキ)の根につゝきつらなると云名なり。故に、命長くして、水火のイキを宰る神に仕ひ奉るなり。また、キツと云キは、つらなると云ことにて、人のイキにつらなりて、人をまよはす。又、タハムの三言を反すとツにして、たはむれて人を迷はすの名になる。是は、野狐の名なり。これ、形同しけれとも、業異なるかゆへ、名を別にする也。俗に考ふれは、人面獣心の如し。古言の法則なり。狐の鳴声を聞に、諸の獣にすくれて、イキにかしこきこと明著(あきらか)なり。如何と云に、彼(かの)狐の鳴声、クワンとなき、又コンとなく。是、カキクケコの音にして、アウムの二音に響かせ、カ行は暉火の灵にして、差別を宰る。アウムの二音、其躰空虚にして、無尽にしからしむるの音なり。故に、古伝にもある空中の水灵にして、無にして有なりと有て、故にア字本不生不可得有也と云も、又(また)此アウムの二音によりて無にあらす、有にあらす、不可得の音なり。
p.386
其、真言の金胎両部の曼多羅は、アウムの二音の外なし。アは胎蔵界、ウムは金剛界。アは躰にして、ウムは用なり。今、神代の学ひよりは、アは空水の灵にして躰、其まゝウムと水灵か火に入交て用となる。是を火中の水と云。故に、キツ子陰氣に惑ひて、声をなすときはクワンと云(いひ)、陽氣に惑して声を起すときはコンと鳴。これを俗人、狐のコンコンと鳴ときは福(さいは)ひ来るなとと云も、陽氣発するゆへなり。如レ此、自然と陰陽水火の理にかしこきこと、もろもろの獣にすくれたるか故に、イキの神の稲荷のつかはしめとなるも、亦(また)是(これ)自然の道理なり。顕云あまり長き解にて退屈せり。
二に、稲荷の古伝の法則を解かは、此言灵一言の法則は、稲荷の神躰にして、いきの元を尽し、音を活用(はたらか)しむるを、さとらしむるを、教ゆるの御伝なり。
(山口志道「言霊秘書」p.383-386)


















































































