◎言霊ア❼
アは〇也とは、是空水の回る形也。〇は円満の義にして、欠ること無き相(スカタ)なり。今、此アの音は、五十連の総名とありて、此一音に諸(もろもろ)の音を をさむ。先に解、真言の金胎両部の曼陀羅も、アウムの二字といへとも、つゝまる処は、アの一音に収る。アは躰にして、ウムは用なり。華厳に所謂、小始終頓円の五教は立れとも、小乗は比するにたらす。終始頓の三教は、大乗なれとも、声聞縁覚の菩薩の三乗所得の法なれは、是を三乗教と立る。たまたま、円満に修多羅を細微に説(とく)といへとも、未た主得を不レ具(グセ)。独り別教一乗は、自利融即なり。一、一切に入、一切、一に入ると立てゝ、無果円融する故に、是を円教と号(なづ)け、天台には蔵通別円の四教と立(たつ)れとも、蔵通別の三教は彖理談九法門にして、未た円頓にあらす。独り性具を立てゝ、即空仮中と談する具の一字を以(もて)、一微塵を挙れは、三千の諸仏は宛然より独り是を円教と云。密家は知らす。華天両宗に円教と立るは、円はまとかにして、即〇(ワ)也。〇は円満にして、欠ることなし。故に、経には、彼仏円光と説く。即、尽十方也。是を、円光と説く。本願円頓一乗と立るも、一名号に万徳を具して、残ることなし。円頓絶対不二の教え故に、円教と号(なづ)くる。故、如レ此何(いづ)れより見ても、〇(ワ)は円満の義にして、欠ることなきとは、諸々の物を解きて、解さることなし。今、此アは、五十連の総名にして、此一音に諸音を具して、欠ること無き故に、又〇也とあり。此法則を以(もて)て解ときは、解さることなし。さて、しはらく置て、阿弥陀の三音を解かは、無量寿と云はまつ置て、今(いま)此言灵に円具する尊き御仏と云こと也。故に、諸神諸仏も阿弥陀一躰の分身にして、恒沙の万徳、此御名にをさめたり。実に宜(むべ)なる哉。これを言灵の法則に解かは如レ此。仏教は知らす。顕云。アミタの反アにして、アの一音より五十音を生す。をさむれは、又(また)アの一音となる。諸仏菩薩、五十音にはつれたるはなし。故に、阿の仏と云。又(また)云。
(山口志道「言霊秘書」p.419-420)

〔補足〕
円教とは円満な教えの意。中国仏教では諸経論の思想を分類し、教えの浅深を検討することが行われたが、そのなかで究極的な教えを円教と名づけた。この分類に携わった人に、北魏の慧光、天台智顗、唐の法蔵、唐の元政などがいる。慧光、法蔵は華厳経、智顗は法華経を究極的な円教とみなした。元政は真言密教を一大円教となし、日本の天台密教はこの説を採用し発展させたもの。円教という語は、すべてが差別をこえ、互いにとけあい互いに完成すると考える天台宗によって特に多く用いられる。


◎言霊アウム
アウムの二音、其躰空虚にして、無尽にしからしむるの音なり。故に、古伝にもある空中の水灵にして、無にして有なりと有て、故にア字本不生不可得有也と云も、又(また)此アウムの二音によりて無にあらす、有にあらす、不可得の音なり。其、真言の金胎両部の曼多羅は、アウムの二音の外なし。アは胎蔵界、ウムは金剛界。アは躰にして、ウムは用なり。今、神代の学ひよりは、アは空水の灵にして躰、其まゝウムと水灵か火に入交て用となる。是を火中の水と云。
(山口志道「言霊秘書」p.419-420)


◎言霊マ❺
間(アヒタ)。マの音は、向(ムカフ)也と有。故に、一と間(ひとま)、二た間(ふたま)と水切(シキリ)しきつて、向ひ合ふ正中を云ふの始なり。妹背のことをツマと云も、ツは続こと。マは向ふことにして、続き向ふの語也。故に、夫は婦をツマと云(いひ)、婦は夫をツマと云(いふ)。これ、つゝき向ふ法則の故に、互にツマの名あり。画法にツマトリと云て、夫婦の鳥を画くときは、先へ行く鳥は口を開いて後へ向ひ、迹(あと)より行く鳥は口を開かすに先の鳥に向こと、これを妻鳥(ツマトリ)と云。これ、つゝき向ふの法則なり。是等は、仏家に云アウムの法又(また)同し。アは空躰にして、口を開く。ウムは陽灵にして、口を閉る也。故に王の開合は、アウムを表す。是を、ツマと云。惣(すべ)て、つゝき向ふ物の名なり。つゝき向ふときは、独(ひとり)に非ず。必(かならず)対することあり。故に、間(マ)と云も、為限々々(しきりしきり)と向ひ対するの語。相撲(スマヒ)と云も、スはス一にして、文(かざ)りなきこと。マヒはマヒ・マフと用(はたら)きて、文(かざ)りなき裸(ハタカ)舞と云語にして、此ときは取與むことに非す。土俵入のこと也。又、スモフと云ときは、スはス一にして、文(カサリ)なきハタカノコトモのもやうと云語にして、此ときは取與より出る語也。惣(すべ)て、マヒと云は、マは向ふことにして、二つ物向ふを、すへてマヒ マフと云。舞鶴抔(など)と云か如し。羽と羽と二つ向ひ合せるか故に、マヒと云。故に、躍りと舞と一事にすれとも、しからす。躍ことは、尾を取るの語にして、其(その)後(しり)へに付こと也。盆ヲトリの如し。円満の〇(ワ)をなして、尽ることなきを顕す。舞は、後(しり)へに従ふの義に非。袖と袖とを向ひ合せて、マヒと云。何にもせよ、今マは間(アヒタ)也と有て、向ひ合ふたを、惣て間(アヒ)たと云。ホより起りて、五十音を顕し、今又ホの一音に向ひ帰する音の故に、間(アヒ)た也と知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.517-518)


阿弥陀如来

記事更新日:2026/09/17