1.支那(しな)という言葉について

紀元2世紀頃、インドのサンスクリット語に China staana(チーナ・スターナ)という言葉があり、秦の土地を意味しました。随の時代に、経典の通訳を行う僧侶が China(チーナ)という言葉に支那という漢字を当てました。支那という地名は雅語でしたが、1869年に福沢諭吉が著書『世界国尽』の中で、当時の中国の清(ツングース系女真族である満州人)のことを無知で戦力もなく、英国とまともなやりとりができない哀れな支那人と表現したことから、支那人が人種的に差別された民族というイメージが定着しました。



2.中国の歴史

◎秦王朝
 ・紀元前3世紀。
 ・漢人の趙氏(秦の始皇帝)が紀元前221年に史上初めて中国全土を統一。
 ・首都を咸陽とする。

秦王国の印

◎漢王朝
 ・紀元前2世紀。
 ・前漢(紀元前206~8年)と後漢(25~220年)に分けられる。
 ・漢人の劉邦が建国。前漢の首都は長安。後漢の首都は洛陽。

◎魏晋南北朝・三国志時代(魏、呉、蜀)
 ・北朝:モンゴル人王朝(北魏など)
 ・南朝:漢人王朝(東晋など)

◎晋時代
 ・3世紀(280~316年)。
 ・漢人の司馬炎が建国。首都は洛陽。


4世紀になるとモンゴルなど北方の民族が侵入し、中国を支配しました。当時、
支配者層となったモンゴル人と被支配者層となった漢民族の割合は2:8で、権力的に地位の高いモンゴル人の男性1人が地位の低い漢民族の女性50人と交わるという習慣により徹底的な混血を進めました。また、地位の低い漢民族の男性は、モンゴル人女性と交わることを強要され、これにより漢民族は完全に消えることとなりました。

◎随王朝
 ・6世紀(581~618年)。
 ・モンゴル系鮮卑(せんぴ)族の楊堅が建国。首都は西安。

◎唐王朝
 ・7世紀(618~907年)。
 ・モンゴル系鮮卑(せんぴ)族の李淵が建国。首都は長安。

◎宋王朝
 ・10世紀(960~1279年)
 ・トルコ人沙陀族の趙匡胤が建国。首都は臨安。

◎元王朝
 ・13世紀(1271~1368年)
 ・モンゴル人のフビライが建国。北京を首都とする。

◎明王朝
 ・14世紀(1368~1644年)
 ・漢人の朱元璋が建国。首都は南京。

◎清王朝
 ・17世紀(1644~1912年)
 ・満州女真族のヌルハチ(
愛新覚羅)が建国。北京に首都を置く。



3.中華思想について

中国語で華とは文明を意味します。中国北宋時代の儒学者司馬光(しばこう)が1084年に完成させた歴史書「資治通鏡」において、漢民族は周辺の異民族に対して優位に立ち、民族の鑑(かがみ)となり、文明と施しを教示していく使命があるという中華思想を唱えたことが始まりです。司馬光は漢民族ではなくトルコ系沙陀族であったことから、漢民族をまとめるための教えとして編み出したものです。時代を経て中華思想は解釈が変わり、中国人こそ世界の民族の中心であるという思想に変わりました。



4.中華人民共和国について

1912年、辛亥革命によって清が倒れ、孫文によってアジア初の共和国である中華民国が成立しました。漢・満・蒙・回・西(漢族、満州族、蒙古族、ウイグル族、チベット族)の五民族が一つとなって巨大なる単一民族を作ることを目指しましたが、まもなく袁世凱にその地位を譲ります。その後、中国は内乱が続き、1949年に毛沢東が北京の天安門広場で中華人民共和国の成立を宣言しました。






中国語を母語にし、服装も中国服に統一した。
北方のモンゴル系の人々は漢民族の文明を引き継いだが、日本のようにうまく引き継ぐことができなかった。例えば言葉。モンゴル人やトルコ人が北部からやってきて、ツングース系などを含めた北方からの異民族の発音が中国語に入っていった。習近平は正しい読み方はしゅうきんぺい。しーじんぴんはモンゴル系などの北方民族の音。武漢もぶかんが正しい。うーはんはモンゴル系の声音。日本が漢民族の言葉を正確に受け継いでいる。モンゴル人、満州人によって中国語は変わってしまった。

いまモンゴル系、北方異民族は、日本の文化にあこがれている。







中国の地図



記事更新日:2025/12/23