◎言霊
の音は、形(カタチ)をなすの火水(イキ)にして、形をなすのいきは、火水の凝(コリ)極(キワマル)也。故に、限(カキリ也とある。偖(さて)、語を解かは、は搦むこと、イキのことにして、搦むいきと云語也。物に搦み極まれは、又離るゝ。故に、限り極れは、物凝(モノ・コル)のつまりを云。先きに解か如きの音は、形をなすの息にして、形をなす物は必(かならず)限り有と知へし。形をなさゝる真のいきは、常住不変にして、限り無き故に、古事記神代巻に、天神七代は形なき息にして、隠身とある。形なき神なれは、不去不来也。神代の神は遠きに非。必(かならず)、今日に有(あり)。国常立より下(し)もの神は、形を現すのいき故に、有去有来故に形を現すのいき盛者必衰にして、必す限り有。形なきのいきは、不去不来にして、限り無きか故に、上ののい音のいきは、空中の水灵にして、御身(みみ)を現(あらは)さるゝる。天津神の故に、限也の法則なし。今、此のの音は、形現すの地神のいきにして、来る有、去る有。故に、限也と有。実に、神仏の法(の)りは、理(コトハリ)一にして、形なきの本来の真如のいきは、四相のうつさゝる処。形なすの凡情の波浪の息は、有為にして、四相うつされ来る有、去る有。今、此稲荷の古伝に占るに、無生より現るゝ生、無形より顕すの形、いきは、盛者必衰会者定離は、神仏の二道 寛狭の異あれとも、其法則(のり)違(たがは)さること、古伝にて有て明か也。今、の音は、形なきの火水凝て、形を現すの息のの音故に、限(火切)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.472-473)


◎言霊
限(カキル)は、物の極るを云詞也。今、は暉く火の灵にして、古事記神代の巻の、天照大神也。は月読の尊にして、是(これ)を地神の部に入(いれ)、形をなし、初にして終りをなす。隠身(シヲ)在(まします)天神の如くには非。形をなす物は、必(かならず)初め有。又、終り有。朝 東に暉て、夕べに西へ入。是(これ)、形有の相(すがた)也。故に、今(いま)形顕すの、暉火灵の音に限ると也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.477)


◎言霊
為限(シキル)。シキリシキルと活用(はたらき)て、は印(シルシ)のこと。は根のこと。形なきの水灵は、本来寂然(せきぜん)として為限(シキリ:水切)なし。形なす昇水は、火限(カキリ:火切)有。故に、空水は形無故に、かぎりをなさす。鳥は形無き空水をかける故に、水切なけれは、又無礙(むげ=とどこおらせる障害がないこと)なり。形現すの水は、水限なす故に、物に障へられて、舟に乗らされは渡られす。形現はすの水のゆゑ也。有所あり、無き所あり。古今集恋の部に、流れては妹背の川の中に落る吉野の川のよしやよの中、と読たる如きは、水は水切をなして、物を隔る。故に、シキルと云は、襖屏風に至るまても、水の流るゝ如くにする。是を、シキリと云う。俗に、水際(キハ)を立ると云。形現すの水は、必(かならず)しきり有。必(かならず)かきりをなす。今、の音は昇水の灵にして、形現はすの水故に、今シキリなりと有。形現す物は、神か自在の日月すら、雲霧に覆はるゝ。况(いは)んや、余の物に於ておや。形無き本来の水火には、去るも無く、来るも無く、生もなく、滅もなく、只(ただ)自然たるのみ。既に、上のは形現するの火なるか故に、火切(カキリ)也と有。今、此は、形現すの水なるか故に、水切(シキリ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.487-488)

丸窓と満月


記事更新日:2026/08/08