◎言霊
氣()、則(すなはち)、水火(イキ)也とは、水火すてに凝て、浮ひ出るのいき也。今にて云は、日輪太神宮の出玉ふ処故に、雲霞も霧も晴()るゝなり。雲(くも)霞(かすみ)霧(きり)と云も、理(ことはり)は同くして、いき凝て雲となり、かすみとなる。是、天地のいき也。ゆゑに、カスミの反キリの反クモの反。総(すべ)て、日月もいき、又雲霧も氣。そこは同じ理なれとも、日月と雲霞霧と同しやうに扱ふへからす。同じ天地の氣なれとも、神灵の在(ある)と不在(あらざる)とあり。氣は天地の氣同しけれとも、非情有情の差別あり。神灵の在(ある)と不在(あらざる)とを能(よく)知り、能(よく)教るには、神道と仏道なり。儒はしからす。顕伝。更に、儒道を学すして盲説を吐。実に笑ふへし。聖人の一罪人なり。兎角、其道の蘊奥(うんのう)を極めすして、其道を論すへからず。又或曰。今(いま)此の音は、影の火の灵と有て、真(まこと)の火に非す。夫(それ)を何そ日輪と云や。答曰。前に数々解くか如く、真の火に形見へす。形をなす火は、火の用にして、則(すなはち)影也。其形なすときは、火水二つ與みされは、形をなさす。今、此の音は、火水凝て形をなす音の故に、影の火の灵にして、氣なり。こゝに心得のあるは、氣に又(また)二種あり。形(かたち)なき真(まこと)の水火の躰を、氣(イキ)と云。又、形をなす火水の用(はたらき)をも、イキと云。しかれとも、火水のイキと云ときは、只と云て、を云(いは)す。又、形をなす火水の(はたらき)を氣と云。たゞと云て、をいはず。爰(ここ)を以(もて)差別を知るへし。今は、影の火にして、火水の用(はたらき)の氣(イキ)の故に、只の音に氣也とあり。の音には命也、息也と有て、形無きのいきのを云。万物、イキならさるはなし。人も、草木も、皆イキ也。故に、天ノ常立の反なり。国ノ常立の反也。天ノ常立の神は、古事記に顕して、隠身(ミヲカクシ)玉へりと。是、無きイキ(水火)なり。又、国の常立の神は、日本紀の最初に挙て、形を顕す。イキの神の本となす故に、形無き天ノ常立は、空中の水灵のイキ也。形有の国ノ常立は、暉く火のイキ也。形無きもイキ、形有も共にイキなれとも、形無きをと云(いひ)、形有をと云(いふ)。其れを合せて、又イキと云の語をなす故に、の音に息の字を仮る。の音に、氣に字仮り用ゆ。仮字するにも、素(もと)より其心得有りと知るへし。前に云通り、万葉集の歌の仮字とは異なると知るへし。偖(さて)、今此の音は暉く火の一行にして形無、天地のいきより形現せる氣なりと知るへし。故に、今の音に氣也と有。又、影と云に二種あり。正火より出る影と、影より出る影有と知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.470-472)


◎言霊
形をなさゝる真のいきは、常住不変にして、限り無き故に、古事記神代巻に、天神七代は形なき息にして、隠身とある。形なき神なれは、不去不来也。神代の神は遠きに非。必(かならず)、今日に有(あり)。国常立より下(し)もの神は、形を現すのいき故に、有去有来故に形を現すのいき盛者必衰にして、必す限り有。形なきのいきは、不去不来にして、限り無きか故に、上ののい音のいきは、空中の水灵にして、御身(みみ)を現(あらは)さるゝる。天津神の故に、限也の法則なし。今、此のの音は、形現すの地神のいきにして、来る有、去る有。故に、限也と有。実に、神仏の法(の)りは、理(コトハリ)一にして、形なきの本来の真如のいきは、四相のうつさゝる処。形なすの凡情の波浪の息は、有為にして、四相うつされ来る有、去る有。今、此稲荷の古伝に占るに、無生より現るゝ生、無形より顕すの形、いきは、盛者必衰会者定離は、神仏の二道 寛狭の異あれとも、其法則(のり)違(たがは)さること、古伝にて有て明か也。
(山口志道「言霊秘書」p.472-473)


◎言霊
息の終也。このの音は、無(ナキ)こと故に、出入のイキ、終りは消へ去って無に至る。是を、無き灵と云。上に解か如し。本来のイキは、終るものに有らされとも、形(カタチ)顕(アラハス)処(トコロ)のイキの終り也。日月、朝夕に出入するか如しと知へし。
(山口志道「言霊秘書」p.512)



新緑



記事更新日:2026/09/13