◎言霊マ❸
眼(マナコ)は、マは向こと。ナは並ふこと。コは息の凝ることにして、イキ(水火)とは、則(すなはち)日月也。右は水にして、眼は月を宰り、左は火にして、眼は日を宰り、故にマナコとは、いき凝りて並ふと云名也。今、マの音は、火中の水にして、イキ凝並ふの音の故に、マナコ也と有。
眼(マナコ)は、マは向こと。ナは並ふこと。コは息の凝ることにして、イキ(水火)とは、則(すなはち)日月也。右は水にして、眼は月を宰り、左は火にして、眼は日を宰り、故にマナコとは、いき凝りて並ふと云名也。今、マの音は、火中の水にして、イキ凝並ふの音の故に、マナコ也と有。
古事記神代巻の、天照太神と、月夜見の尊と、天地の眼也。故に、其(そ)を知らしめん為に、伊弉諾の命と、日向の橘のをとのあはきか原にみそきし玉ひ、左の眼をそゝき玉ふて天照太神現れ、右の眼をそゝき玉ひて月読の命現はるゝ。二た柱は、日月也。天地の眼也。此二た柱の神、日月なることは、安麿か古事記の序にも、日月は服を洗ふに現れ、其日月は是(これ)天地の眼の故に、伊弉諾の神、目出度(めでたく)御子(ミコ)産玉ふと喜はせられ、人産るゝと云も、眼(まな)こ開かされは何そ目出度(めでたき)こと有ん。天地二た柱の神在(ま)す故に、目出度(めでたき)皇子(ミコ)也。万物、是より文目(あやめ)を分つ。葦原豊中津国、此ときにあたつて、国の国たることになる。今、此五十連五十音も、マの一音に至て、息の不レ残顕れて、不足と云ことなし。実に、天地の眼也。音韻の眼、是より外に無きと知るへし。此故に、今眼(マナコ)也と有。
(山口志道「言霊秘書」p.516-517)


記事更新日:2026/09/16


















































































