
献呈の言葉
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『最後の晩餐』は、新約聖書に記されている有名なシーンで、ユダヤ教のペサハ(過越祭)の日、イエスが、12人に弟子たちとともに、食卓の儀式、つまり、過越(すぎこし)の食事をする様子を描いたものです。
この食事のあと、イエスは、ローマから派遣されてユダヤ人が住む地域を治めていた総督ポンティオ・ピラトの尋問と命令により十字架に磔(はりつけ)になります。イエスは自分がこの運命になることをすでに知っていて、この場が「過越の食事」という食卓の儀式の場であるだけでなく、イエス(自分)そのものが過越で犠牲となる子羊の象徴であるという二重の意味を持っているということを12人の弟子たちに対する賛美の祈りの中にこめています。
このことについて書かれた新約聖書の箇所を下記にご紹介します:
過越の食事をする(マタイ福音書第26章)
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
主の晩餐
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
『最後の晩餐』の席で、イエスが弟子たちとともにした賛美の祈りは、ペサハ(過越祭)の期間に歌われるハレルの詩編(旧約聖書 詩編115-118)でした。これはヘブライ語で TEHILLA(テヒラー)と呼ばれており、それがのちに HALELLUYA(ハレルヤ)という言葉になりました。ハレルヤという言葉はヘブライ語のハレル(たたえる)とヤー(神ヤハウェ)に由来するもので、心からの感謝をもって神をたたえよという意味になります。
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古代のハレルの詩編につけられた音韻から発展したものに、Victimae paschali laudes(過越の犠牲をたたえよ)という中世の聖歌があります。この聖歌は、荘厳な雰囲気をもつドリア旋法で作られていることと、テキスト(歌詞)がシンプルな韻を踏んでいることから、独特の神聖さをもっています。
この聖歌は、日本の国歌「君が代」に似ているともいわれており、これも興味深いです。実際にこの聖歌をもとに日本の国歌「君が代」が作られたということではないとしても、音と韻が似ていることで、日本という国家の成り立ちともシンクロしているのかもしれません…。
それだけではなく、旧約聖書の過越(すぎこし)の神話と、京都の八坂神社をはじめ国内のいくつかの神社で祀られている蘇民将来(そみんしょうらい)神話が似ていることや、蘇民将来にちなんで行われる茅の輪(ちのわ)くぐりの「茅(ち)」と過越の血(ち)が同じ音であること、過越の際に子羊の血を塗った二本の柱と鴨居が赤い鳥居に似ているなど、この二つの神話には共通するものを感じる箇所がいくつかあります。そういう意味でも、旧約聖書の内容を知ることは、日本人として深い意味があるように思います。
◆◇セミナーのお知らせ◇◆
毎週土曜日の夜に開催しておりますNLP特別セミナーでは、5月は、「過越の犠牲をたたえよ」の聖歌をマスターいたします。この聖歌は、テキスト(歌詞)がシンプルな韻を踏んでいることと、同じメロディが2回ずつ続くことから、2人(または2グループ)で掛け合うように歌うと、テキスト(歌詞)であらわされている過越(すぎこし)の情景が立体的に浮かび上がる様式になっています。全3回のセミナーで、この聖歌の背景にある旧約聖書の過越(すぎこし)やイエス・キリストの『最後の晩餐』の真の意味を深めながら、1000年以上も歌い継がれてきた西洋マントラを実践したいと思います。この3回の講座が終わる頃は6月に入りますので、京都の八坂神社をはじめ、いくつかの神社に設置される茅の輪くぐりの儀式を受けるのもいいですね。夏至に向けて、ひとつのエネルギーの区切りになることでしょう。
《NLP講座としての目的》
◎エピステモロジー(認識論)
・子音の発音とアーティキュレーション
・母音の響きと言霊(ことだま)の関係
・日本語以外の言語とその周波数
◎メタファー
洗礼者ヨハネの誕生、予告される
ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」
イエスの誕生が予告される
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
マリア、エリザベトを訪ねる
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
マリアの賛歌
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
洗礼者ヨハネの誕生
さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
ザカリアの預言
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、
僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
それは、我らの敵、
すべて我らを憎む者の手からの救い。
主は我らの先祖を憐れみ、
その聖なる契約を覚えていてくださる。
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは、
敵の手から救われ、
恐れなく主に仕える、
生涯、主の御前に清く正しく。
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立って行き、その道を整え、
主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。
この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。」
幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。
洗礼者ヨハネの誕生、予告される
ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」
イエスの誕生が予告される
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
マリア、エリザベトを訪ねる
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
マリアの賛歌
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
洗礼者ヨハネの誕生
さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
ザカリアの預言
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、
僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
それは、我らの敵、
すべて我らを憎む者の手からの救い。
主は我らの先祖を憐れみ、
その聖なる契約を覚えていてくださる。
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは、
敵の手から救われ、
恐れなく主に仕える、
生涯、主の御前に清く正しく。
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立って行き、その道を整え、
主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。
この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。」
幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。






















































































