天竺と皇国は共に、音の国なるゆへに、同じ天地のうちなれは、自然と灵合有と知るへし。


ナム(ナ⓮)
南無を、梵和の灵合を以(もて)解かは、(南)は和らき並ふこと。(無)は能(よく)睦むこと。一度(ひとた)ひ仏と和らき、並ひこり睦む者は、過去に並ひて凝り睦み、竟(つひ)に仏果を得る也。是(こ)れ、は三世にわたるの灵故に、此理(ことはり)自然の梵和の灵合なり。天地の道理、三世を尽すの教への故に、仏家にのみ有には非。和国の神道、自然の奥儀、全く神仏同躰にして、更に其法(の)り違ことなし。但(ただし)、寛絞深浅迷悟の目果、其差別あるのみ。しかれは、迷中の三世因果をとく漢土の儒教は、現世一生のならひ、和らくことを教て、過去の因果を解かす。神仏とは、其(それ)則(すなはち)遥に遠し。我朝に、本師垂迹(ほんじすいじゃく)を伺(うかがふ)ことの規鑑なり。稲荷の古伝に、此理ありと知へし(是儒教をしらさる文盲暗愚敷ものなり)。故に、今の音に、三世にわたる灵也とあると知へし。


◎タタ(父)p.505 
行は前を宰りて、父の灵なり。故に、一物のホチ)、種(タネ)を宰りて、百千の数をなす。是、父の灵なるか故に、梵語に父をタヽと云。皇国にては、父と云。又、ツヽと云。又、テヽと云。又、トヽと云。は、皆父の灵也。皆父の灵也。故に、一より百千に及ふの義をなす。天竺と皇国と共に、音の国なるゆへに、同し天地のうちなれは、自然と灵合有と知るへし。
(山口志道「言霊秘書」p.504-505)
仏教

記事更新日:2026/09/02