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The Knowing Way Japan(旧Gary Bonnel Japan)認定インストラクター&プロフェッショナルアカシックリーダー中島志保のブログです

2000年02月

叡智の言葉を知るⅡ「三位一体と真理の探究」

聖書の一般向けの言葉で、全知全能の神ーユダヤキリスト教で言うところの創造主は三位一体であると説明されています。父と子、そして聖霊の三つで成り立っていると。しかしイニシエート向けの言葉では、その三つは次のようなものです。

 ◎Consciousness(意識)
 ◎Energy(エネルギー)
 ◎Command(指令)


あるいは別の解釈では次のようなものです。

 ◎Consciousness(意識)
 ◎Energy(エネルギー)
 ◎Urge(衝動)


ユダヤキリスト教の父、子、聖霊の関係は、よく分かっている親とよく学んでいる子どもという私たちの身近な例に擬人化したものですが、これはさまざまな感情を生み出す左脳的な解釈です。一般向けの言葉は常にこのように論争の余地を残しています。だからこそ真理を求める人はさらに求め続け、より大いなる意味を知っている人は、核である霊的な真理をどこまでオープンにするかをコントロールできのです。

イニシエート向けの言葉は明確です。意識、エネルギー、衝動。感情の混じる余地がなく、客観的です。この叡知に身を捧げることを誓った真のイニシエートは、何事をも自分個人に向けられたものだと解釈せず、人生の矛盾がもたらす出来事を超越して生きていきます。一般向けの霊的な教えは、逆に真理を求める人にすべてを個人的に解釈するように要請するのです。それは「創造」と自分自身との関係性をも含みます。

探求者が、人生のいっけん複雑そうに見える些細なことに関わり合っているならば、汝自身を知ることは不可能でしょう。父なる神は私たちそれぞれの体験を、いったいどのようにお決めになるのだろうかなどと考え続けていればなおさらです。そうなると聖書が要求する宗教組織の盲信は、一般の探求者にはまったく気にならなくなってきます。つまりほとんどの場合、真理に目をつぶり、疑問を抱かず、ただやみくもに後についていったほうが、地上で生活していくには楽だからです。無知は至福がとる便利な形の一つです。

ただ残念ながら、やみくもな信仰が生み出した盲信的な信者は、自分の身に起きた状況のなすがままになってしまいます。そしてなぜこんなことが起きているのか、聖職者と呼ばれる神との仲介人はうまく説明することができません。彼らもまた一般に許された「擬人化された神」を知っているにすぎないからです。

神は、私たちを自らの姿に似せて創りました。
ゆえに私たちは、始まりの瞬間からの自分自身を知ることができます。
これこそ真の創造主の本質であり、真の
解放です。

創造主は私たちを通して自身の創造の証人となり
私たち自身となります。

創造主は私たちのことを案じることはありません。
なぜなら私たちは創造主自身の鋳型だからです。
(ノウイングの教えより)

このノウイングの教えに示されている創造主の意識は、預言者でありマスターであるナザレのイエスによく表されています。イエスこそ、最初に「私と私の父とは一つである」と宣言した人でした。また奇跡についても、この関係性に気づけば「私にできることは、あなたがたもまた行えるのだ。私よりも多く」と言っています。

アカシックレコードには、イエスは始まりのビジョンにおける自分の位置を正確に理解していたことが記されています。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.61-63)


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記事更新日:2024/03/21


羽



(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡智」p.59-63

アトランティスの叡智 (超知ライブラリー5)
ゲリー・ボーネル著
大野百合子訳
徳間書店
2004-09-30





記事更新日:2022/03/29

叡智の言葉を知るⅠ「イニシエートを受けた人々」

スピリチュアルなテキストを読むとき、二つの代表的な視点があります。一つはこの世界の不思議や矛盾を解明しようとする一般の人の視点。もう一つは秘儀を伝授された人、つまりイニシエートからの視点です。後者の人たちはテキストの矛盾は正確に布置された秘密の暗号であることを理解しています。本書も、イニシエートは素早く深い理解に到達し、一般の人は混乱して霊的な目覚めも遅れるように意図的に書かれています。

古代のテキストに並んだ単語を文字通り解釈するのは不可能です。これらのテキストは意識を刺激し叡智を拡大するために、隠喩や寓話を実践的に使用しているからです。これらのテキストは声に出して唱和すると、神聖な変性意識状態を創り出します。内容を事実であるかのように文字通り解釈するなどとは、テキストの物語を編集した人々には思いもよらないことだったでしょう。さらなる指示がないままこれらのテキストが公(おおやけ)になったときから、人類の集合体験として新しい宗教の教義が創り出した現実が始まりました。これでさらに下層階級の人たちの霊的目覚めへの遅れが決定的になったのです。

この世界には秘かに叡智(ノウイング)のエキスパートがいて、聖俗を問わず民衆がどの程度この叡智の内容を知ってもよいのかを決断していました。究極のところ叡智はパワーなのです。このため、公(おおやけ)にされたスピリチュアルなテキストは、宗教という囲いの中で神秘のイニシエーションを受けた人々が学んだ内容から大幅にかけ離れてしまいました。それはグノーシス主義や神秘キリスト教(原始キリスト教)の核である聖なる教えです。一般の人やイニシエーションを受けていない人は、霊的な教えの周縁の信念(本質ではなくその周りの教えとしての信念)に従うように要請されます。けれどもイニシエートは創造についてのさらに拡大した叡智を授けられるのです。聖書の一般向けの言葉では、神はやみくもな信仰を要求していますが、イニシエートは自分の内なる神の王国を知ることを許されます。一般の人が神の神秘的な本質から遠ざけられるとき、イニシエーションを受けた学びの徒は、盲信の矛盾を超えた叡智の恩寵を受け取ることができたのです。

イニシエートは普通の言葉を Knowing の叡智を持って読むことができますが、普通の人々にとっては言葉の意味を超えて旧約聖書や新約聖書のシンプルな文章に秘められた神秘の暗号に到達するのは大変困難です。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.59-61)


巻物の聖書


記事更新日:2024/04/04

ノウイングの教えの始まり

創造主はすべてを一瞬に創りあげた。
欠けているものは何もなかった。
その瞬間に、存在すべきものがすべて創造された。
ー聖なる闇と、聖なる光が。
(ノウイングの教えより)

Knowing(ノウイング、叡知)または Way(ウェイ、道)と呼ばれる教えを構成しているこの非常にシンプルな三行または四行の言葉は、シンプルであるがゆえに、既存の文書、たとえば旧約聖書や死海文書、ナグハマンディスクロールの中に取り入れられ、解釈が試みられました。こういったシンボルが新しい思考に取り込まれると、しばしば誤解を引き起こします。

「叡知」は楔型文字に大変よく似たシンボルで表され、誤解を防ぐために非常に注意深く書き記されていました。しかし「叡知の道」の翻訳は、残念ながら正確というわけにはいきませんでした。創造とはどのように始まったのか、その大いなる計画の中で私たちの役割は何かといった内容を物語るというよりは、耳を突き刺すような命令や指令の形に変化してしまったのです。

読みやすく実用的にするため平易な言葉に変えられるにつれ、中身はどんどん増えていきました。そして最初のテキストは崇高な神を物語る神話へと変化していきます。変化していく間に、私たち人類の意識の役割である「自らの源である創造主と一つになる」という部分が失われていきました。その代わり、自分たちの最も調和した姿、理想的な姿を創造主に投影したのです。

「創造」における私たちの役割を説明しようとして初期に神話が生まれたとき、このようにオリジナルの教えが歪められたことは明らかです。おそらく「原罪」とは、私たちが創造主と一つであった状態を出て、自分たちの苦境とは何か、神とは何かを理解しようとしたときに生まれたのでしょう。この三次元で進化していく物質、つまり肉体と不可思議にも混ぜ合わされてしまった魂の「苦境」です。


創造主は、個人の人格とは、関わらない。しかしながら、我々は創造主によって毎瞬毎瞬駆り立てられている。創造主には特定の形はない。しかしながら、創造主はすべての既知のそして未知の形である。創造主は無限である。しかし、各々の創造物の中、創造主自身が課した制限の力のうちに創造主は存在する。創造主は知られているものすべてである。そして自らの創造である一つ一つ特定なものに関しては朗らかに気づかないのだ。
(ノウイングの教えより)

創造主を積極的に理解しようとするとき、テキストに示されているこの中心となるたった一つの信念が非常に重要です。我々は創造主を自分自身の始まりの源であることを認識している。そして創造主は我々個人には「意識的」に気づかないのだ。

この「創造主は私たち一人一人を意識していない」という考えに多くの人々が衝撃を受け、完全に間違いだと思うでしょう。それなら聖書やほかの経典に書かれていることはいったい何なのだ? 神が面倒を見てくれないのなら誰が私たちを見守ってくれるのだ? 私たちが日々正しく徳の高い生活を送っているかどうかを誰が見ていてくれているのだ? 無慈悲な行動をした人々をいったい誰が審判を下して罰してくれるのだ? 人々を天国行きと地獄行きに振り分けてくれるのは誰なのだ? このような疑問と心配が山ほど沸いてくることでしょう。

創造主が私たちにわざと気づいていないからといって、この「創造」の中で私たちがいとりぼっちなのかというとそうではありません。献身的な転生を通して「汝を知れ」という課題を完璧にクリアした存在たちがいます。類の旅の守り手となってくれる菩薩とアセンションしたマスターたちです。両者とも完全に肉体を持ちながら、スピリットの次元もまた完璧に意識化することができます。同時に意識の両側面から人類に奉仕しているのです。肉体を持った存在として私たちの間を通り抜け、より拡大した叡知と行動のレベルに到達できるようにインスピレーションを与えてくれます。

彼らなしでは、私たちの人生は希望のない、恐ろしく光の欠けたものになってしまうことでしょう。絶望の中で生きることになります。彼らこそ、知性の理解を超えた「始まりの瞬間ー創造主」が遣わした実に謙虚な真の使者なのでです。

私たちは、菩薩やマスターに、神話や伝説を通して出会うことができます。彼らは叡知と恩寵にあふれた天使のイメージで私たちのもとを訪れたと記されています。これは彼らが物理的な形を持っているということです。また、菩薩やマスターの多くは預言者や聖人、歴史的な偉人として実際に転生しています。

このように、私たちの進む道を見守ってくれている菩薩やマスターたちは、あらゆる形体をもち、私たちの行動のすべてを見て、すべての言葉を聴いています。そして私たちが分離のサイクルが原因で持ってしまった妄想や制限からノウイング(叡知)の道、自由な世界へと解き放とうとしてくれています。彼らは、私たちがこの三次元に転生しているあいだ、地球のスピリットとロゴスの聖なる使いとして見守ってくれています。私たちが祈るとき、彼らはそれに答えてくれます。そして必要な目的のために思考を現実化しようとするとき、私たちの指令を達成してくれます。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.55-59)


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記事更新日:2024/03/21

感覚が推し進める物理次元の探究

神、始まりの瞬間、オリジナルポイント……この概念を解明しようと、今までにありとあらゆる試みがなされてきました。壮大な形容矛盾ともいえる創造主の概念はあまりに人間の知性の範囲を超えていました。変化し続ける複数性の極致が、実にシンプルな「創造」の中に包み込まれています。文明の出現以来、西洋では創造主に関しての大量の書が記されてきました。複雑きわまる「始まりのビジョン」を何とか理解できる程度に噛み砕こうと努力しながら。

ダイアード(二元的なもの)と呼ばれる物質が、この地球上で、始まりの瞬間に内在する「始まりのヴィジョン」をどのように成就していくのかを深く知るには、感覚が推し進めるこの物理次元を探究するだけで充分です。

生命とはあまりにも単純でありながら、その細部を明確にするにはあまりにも複雑です。相反する概念ー創造と破壊ーが常に結びつき、お互いに複雑に絡まり合っています。まず私たちは五感を通して物理的創造を理解します。その後には五感を超えた非物理的な超感覚を通して知覚される平行次元が待っているのです。

私たちの五感もまた多層構造になっています。生物としての五感の通常の制限を超えれば、意識は拡大し、創造の瞬間のヴィジョンを超えることができます。完璧なそのヴィジョンは、さまざまな次元が多層構造を形成し、多次元的に交差しています。その交点は対応する意識と呼応し、それぞれが隣り合う調和した純粋エネルギーの波と和合しています。

五感を通じて獲得した私たちの観点から「創造」を完全に理解しようとすると、最初は気持ちがくじけそうになるかも知れません。けれども方向性さえ定めれば、そして少しだけそちらの方向へ押してもらえれば、「大いなるもののすべて」への理解(Knowing)を完全に手に入れることが可能です。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.54-55)


女性


記事更新日:2024/03/15

始まりの瞬間にあらわれた始まりのヴィジョン

一般的に学習というものはまず簡単なところから始めて理解が進むにつれて徐々に難易度を上げていくのが普通です。しかし Knowing(叡知)の教えはその性質上、もっとも重要でもっとも難解なところから始めます。なぜなら始まりの瞬間である創造主(神)の本質をまず理解することが何よりも大切だからです。それを理解しない限り私たち人間の本質すら知ることはできません。

Knowing(叡知)の教えによれば、創造主(神)という概念は、私たちの知性が捉えられる限りの、あるいは知性を超えたものすべてに存在を与えた広大かつ自覚のあるエネルギーの源に便宜的につけられたものです。創造主とは意識を創造した唯一の源であり、この創造主についてアカシックレコードには以下のように記されています。


意識とエネルギーの枠組みの中に、完璧なるヴィジョンが創造された。
それはある瞬間に、現実化に向けて解き放たれた。


この始まりの瞬間にあらわれた始まりのヴィジョンとは、鋳型ことです。始まりの瞬間、この鋳型を通して、すべてのダイアード(dyad: 二つの存在=進化する物質)が、進化を内包した原初の状態で生み出されました。進化する物質がもつ目的は、始まりのヴィジョンに畳み込まれている可能性を満たしていくことです。進化する物質は、始まりの瞬間から、自ら選んだ進化の道を歩き始めました。それぞれの波動に調和した道です。

始まりの瞬間に、もう一つのタイプのエネルギーが生み出されました。それはトライアード(triad: 三つの存在=魂)と呼ばれるすでに完成された原初の形体です。この完成された形体は、始まりの瞬間、それを生み出したソース(源)に似せて作られました。

宇宙的に定義された一点としての瞬間に最初に生み出されたのはトライアード(魂)で、意識、エネルギー、衝動の三つから成ります。その直後に生み出されたのはダイアード物質(肉体意識)で、意識とエネルギーの二つから成ります。前者はその完全性を通して存在し、後者は進化を通して存在ます。これが始まりの瞬間であり、この二つの存在の出現によって光と影、自己と他者が始まりました。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.53-54)


スポットライト


記事更新日:2024/03/15

はじめに

形としての神、観察者としての我々。私たちは次元空間の交差点に投影されたホログラフィである。その交差ポイントはシェアードモーメント(分かち合われた瞬間)と呼ばれている。その瞬間自身も「創造」を含有し、それを自ら明らかにしていくのだ。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.52)


人工知能と人間


記事更新日:2024/03/15

アトランティスの叡智・第1章(目次)


始まりの瞬間のヴィジョンと共に In The Beginning 
2000/02/02 はじめに
2000/02/03 始まりの瞬間にあらわれた始まりのヴィジョン
2000/02/04 感覚が推し進める物理次元の探求

記事更新日:2024/04/04
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