聖書の一般向けの言葉で、全知全能の神ーユダヤキリスト教で言うところの創造主は三位一体であると説明されています。父と子、そして聖霊の三つで成り立っていると。しかしイニシエート向けの言葉では、その三つは次のようなものです。
◎Consciousness(意識)
◎Energy(エネルギー)
◎Command(指令)
あるいは別の解釈では次のようなものです。
◎Consciousness(意識)
◎Energy(エネルギー)
◎Urge(衝動)
ユダヤキリスト教の父、子、聖霊の関係は、よく分かっている親とよく学んでいる子どもという私たちの身近な例に擬人化したものですが、これはさまざまな感情を生み出す左脳的な解釈です。一般向けの言葉は常にこのように論争の余地を残しています。だからこそ真理を求める人はさらに求め続け、より大いなる意味を知っている人は、核である霊的な真理をどこまでオープンにするかをコントロールできのです。
イニシエート向けの言葉は明確です。意識、エネルギー、衝動。感情の混じる余地がなく、客観的です。この叡知に身を捧げることを誓った真のイニシエートは、何事をも自分個人に向けられたものだと解釈せず、人生の矛盾がもたらす出来事を超越して生きていきます。一般向けの霊的な教えは、逆に真理を求める人にすべてを個人的に解釈するように要請するのです。それは「創造」と自分自身との関係性をも含みます。
探求者が、人生のいっけん複雑そうに見える些細なことに関わり合っているならば、汝自身を知ることは不可能でしょう。父なる神は私たちそれぞれの体験を、いったいどのようにお決めになるのだろうかなどと考え続けていればなおさらです。そうなると聖書が要求する宗教組織の盲信は、一般の探求者にはまったく気にならなくなってきます。つまりほとんどの場合、真理に目をつぶり、疑問を抱かず、ただやみくもに後についていったほうが、地上で生活していくには楽だからです。無知は至福がとる便利な形の一つです。
ただ残念ながら、やみくもな信仰が生み出した盲信的な信者は、自分の身に起きた状況のなすがままになってしまいます。そしてなぜこんなことが起きているのか、聖職者と呼ばれる神との仲介人はうまく説明することができません。彼らもまた一般に許された「擬人化された神」を知っているにすぎないからです。
このノウイングの教えに示されている創造主の意識は、預言者でありマスターであるナザレのイエスによく表されています。イエスこそ、最初に「私と私の父とは一つである」と宣言した人でした。また奇跡についても、この関係性に気づけば「私にできることは、あなたがたもまた行えるのだ。私よりも多く」と言っています。
アカシックレコードには、イエスは始まりのビジョンにおける自分の位置を正確に理解していたことが記されています。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.61-63)
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡智」p.59-63
記事更新日:2022/03/29
◎Consciousness(意識)
◎Energy(エネルギー)
◎Command(指令)
あるいは別の解釈では次のようなものです。
◎Consciousness(意識)
◎Energy(エネルギー)
◎Urge(衝動)
ユダヤキリスト教の父、子、聖霊の関係は、よく分かっている親とよく学んでいる子どもという私たちの身近な例に擬人化したものですが、これはさまざまな感情を生み出す左脳的な解釈です。一般向けの言葉は常にこのように論争の余地を残しています。だからこそ真理を求める人はさらに求め続け、より大いなる意味を知っている人は、核である霊的な真理をどこまでオープンにするかをコントロールできのです。
イニシエート向けの言葉は明確です。意識、エネルギー、衝動。感情の混じる余地がなく、客観的です。この叡知に身を捧げることを誓った真のイニシエートは、何事をも自分個人に向けられたものだと解釈せず、人生の矛盾がもたらす出来事を超越して生きていきます。一般向けの霊的な教えは、逆に真理を求める人にすべてを個人的に解釈するように要請するのです。それは「創造」と自分自身との関係性をも含みます。
探求者が、人生のいっけん複雑そうに見える些細なことに関わり合っているならば、汝自身を知ることは不可能でしょう。父なる神は私たちそれぞれの体験を、いったいどのようにお決めになるのだろうかなどと考え続けていればなおさらです。そうなると聖書が要求する宗教組織の盲信は、一般の探求者にはまったく気にならなくなってきます。つまりほとんどの場合、真理に目をつぶり、疑問を抱かず、ただやみくもに後についていったほうが、地上で生活していくには楽だからです。無知は至福がとる便利な形の一つです。
ただ残念ながら、やみくもな信仰が生み出した盲信的な信者は、自分の身に起きた状況のなすがままになってしまいます。そしてなぜこんなことが起きているのか、聖職者と呼ばれる神との仲介人はうまく説明することができません。彼らもまた一般に許された「擬人化された神」を知っているにすぎないからです。
神は、私たちを自らの姿に似せて創りました。
ゆえに私たちは、始まりの瞬間からの自分自身を知ることができます。
これこそ真の創造主の本質であり、真の解放です。
創造主は私たちを通して自身の創造の証人となり
私たち自身となります。
創造主は私たちのことを案じることはありません。
なぜなら私たちは創造主自身の鋳型だからです。
ゆえに私たちは、始まりの瞬間からの自分自身を知ることができます。
これこそ真の創造主の本質であり、真の解放です。
創造主は私たちを通して自身の創造の証人となり
私たち自身となります。
創造主は私たちのことを案じることはありません。
なぜなら私たちは創造主自身の鋳型だからです。
(ノウイングの教えより)
アカシックレコードには、イエスは始まりのビジョンにおける自分の位置を正確に理解していたことが記されています。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.61-63)
記事更新日:2024/03/21
記事更新日:2022/03/29


























































































