
日本には、天孫降臨の神話が二つ存在します。いま正統とされている天孫降臨の神話は、皇室の祖先である邇邇芸命(ニニギノミコト)が九州の高千穂に降り立ち、そこで王朝を作り、さらに四代目となる邇邇芸命の曾孫、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)が日向(宮崎県)から大和(奈良県)へと進軍し、多くの国々を平定しつつ、橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇となり日本を建国したというものです。
しかしそれよりも先に、すでに日本に天孫降臨した神がいたことが、9世紀に書かれた先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)という書物に記されています。先代旧事本紀の天孫本紀(てんそんほんぎ)では、天孫降臨した饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、32人の随神(ずいじん:神域を守護する武装した神々)と天の運行を司る神々を含む総勢五十柱の神々を従えていたとあり、神武東征よりも前に天孫降臨があったということになります。古事記や日本書記は天皇家の正統性を際立たせるために藤原氏によって編纂された公式史書で、天照大神(アマテラスオオミカミ)から始まる皇統の流れを中心に神話と歴史を整理したものです。一方、先代旧事本紀は、大和朝廷の神事と軍事を宰った物部氏の伝承を伝えたもので、物部氏の祖先である饒速日命が神武天皇が九州から東征してくる以前から大和の地を治めていたというものです。
邇邇芸命は天照大神より三種の神器(剣、鏡、勾玉)を授かったのに対し、饒速日は天照大神より天璽瑞宝十種(あまつしるしみずのたからとくさ)すなわち十種神宝(とくさのかむたから)を授かりました。邇邇芸命と饒速日はともに「ニギ」という音が似ていることと、神宝については三や十といった数霊やシンボルという形霊が基本となっていることが共通しています。
邇邇芸命の本名は、天邇岐志(あめにぎし)国邇岐志(くににぎし)天津日高(あまつひこ)日子番能(ひこほの)邇邇芸命(ににぎのみこと)です。これは、天の世界を賑やかにし、地上の世界も賑やかにしする、天から降りてきた高貴な太陽の子、神聖な稲穂の神という意味で、地上世界に稲作をもたらし、人々を豊かにして国を統一するための神でした。一方、邇邇芸命よりも前に天孫降臨していた饒速日命の本名は、天照国照彦(あまてるくにてるひこ)火明(ほあかり)櫛甕玉(くしみかたま)饒速日命(にぎはやひのみこと)です。これは、天の世界を照らし、地上の世界も照らし、太陽のように輝く男性神という意味で、天津神と国津神の両方を尊び、そのあいだを繋ぐための神でした。
火明(ほあかり)櫛甕玉(くしみかたま)とは饒速日命の霊性であり、火明(ほあかり)とは天地創造の暗闇と混沌の中からあらわれる仄かな光であり、ここから文明や秩序がもたらされます。櫛甕玉(くしみかたま)のクシは奇し、すなわち霊妙で不思議な力、ミカは神徳を受ける器、タマは魂を意味します。特にミカは縄文土器とつながりが深く、クシミカタマに日本古来の霊力や呪術、自然信仰といった要素が色濃く含まれています。このことから饒速日は天津神に通じつつも、国津神の霊力も併せ持ち、天と地、天津神と国津神という、ともすれば対立、拮抗、分離しかねない二つの異なる世界をつなぐ架け橋となったきわめて重要な神であったのです。それが、アマテルクニテルヒコホアカリクシミカタマニギハヤヒコノミコトです。
饒速日が天照大神から授かった十種神宝は、大きく「鏡」「剣」「玉」「比礼」の四種類に分けられます。この神宝と、邇邇芸命が授かった三種の神器「鏡」「剣」「玉」にも共通点があります。この世界はさまざまな次元のレイヤー(層)があり、その中で霊的存在は時間と空間を超越しさまざまな時代や場所に出現することができると考えると、それぞれが他人のように別個のものとして存在しているのではなく、おおいなる源泉から生み出された高次の存在としてつながっていると考えることもできます。
血統や家柄に神を結びつけてその権力をもって一国を統治することを目論んだ藤原一族によって、神が血統や家柄ではなく、単に時空間という縦と横の軸を選んで降臨するという事実は非常に都合が悪いことから、饒速日命とそれを祖とする物部一族の存在を封印したと思われます。
そしてこういった流れは、天の川銀河とその中心にある霊的太陽の関係から生み出された神話でもあります。
記事更新日:2026/04/12


























































































