縄文時代の遺跡から発掘され、能(申楽)で用いられる横笛である能管に継承された石笛は、平田篤胤によって再発見され、やがて神道の儀礼の中で重要視されていきます。
文化十三年(1816年)五月、平田篤胤は鹿島神宮と香取神宮の両宮を参拝し、そのあと玉ヶ崎明神と猿田神社、妙見宮、八幡宮に詣でました。そして、最後に訪れた八幡宮で石笛を発見しました。八幡宮に詣でたとき、社殿の脇の横に草で覆われ埋もれている石が見えました。篤胤はその石を一目見たとき、これこそ天の磐笛という天の声がしたように思い、手にとって吹き鳴らしてみると、その音は「いともめでたく」「ほら貝石」の音にも似ていたとされています。
篤胤は、この石笛は神より賜ったものと受け止めたものの、神の社にある石ゆえ、みだりに持ち帰ることはできません。そこで、鹿の肩骨を取り出して古代の占い法である太兆(ふとまに)を行い、神の御心を問うと、宇気比(うけひ)の結果は「猿田彦神の賜いしもの」と出ました。そこで八幡宮の別当寺の法師の承諾を得て、銚子から船に乗せて江戸に持ち帰り、自宅の神棚の前に捧げ置き、毎朝の神拝の際に必ず吹き鳴らしたそうです。現在この石笛は、東京の代々木にある平田神社に御神宝として保管されています。
篤胤は石笛を、大国主神と並ぶ国つ神の代表神である猿田彦大神の賜いしものとしました。篤胤による天の磐笛の発見により、言霊と音霊が結びつきました。

文化十三年(1816年)五月、平田篤胤は鹿島神宮と香取神宮の両宮を参拝し、そのあと玉ヶ崎明神と猿田神社、妙見宮、八幡宮に詣でました。そして、最後に訪れた八幡宮で石笛を発見しました。八幡宮に詣でたとき、社殿の脇の横に草で覆われ埋もれている石が見えました。篤胤はその石を一目見たとき、これこそ天の磐笛という天の声がしたように思い、手にとって吹き鳴らしてみると、その音は「いともめでたく」「ほら貝石」の音にも似ていたとされています。
篤胤は、この石笛は神より賜ったものと受け止めたものの、神の社にある石ゆえ、みだりに持ち帰ることはできません。そこで、鹿の肩骨を取り出して古代の占い法である太兆(ふとまに)を行い、神の御心を問うと、宇気比(うけひ)の結果は「猿田彦神の賜いしもの」と出ました。そこで八幡宮の別当寺の法師の承諾を得て、銚子から船に乗せて江戸に持ち帰り、自宅の神棚の前に捧げ置き、毎朝の神拝の際に必ず吹き鳴らしたそうです。現在この石笛は、東京の代々木にある平田神社に御神宝として保管されています。
篤胤は石笛を、大国主神と並ぶ国つ神の代表神である猿田彦大神の賜いしものとしました。篤胤による天の磐笛の発見により、言霊と音霊が結びつきました。

記事更新日:2025/05/13





















































































