私たちは広大な魂です。みな、同じ瞬間に、ユニークで決して改変できない存在として創造されました。創造のモザイクのうちで一つとして同じものはありません。魂は説明不能な「永遠なる意義」において、「始まりの瞬間ー創造主」の包括的な表現とつながっています。始まりの瞬間こそ私たちのただ一つの源です。
創造主は意識的に私たちの存在について気づいていないのだということを理解していないと、自分の意識内に空虚感を感じます。この空虚感は「私たちは完全に解放された存在である」という認識からではなく、大いなる叡知を不当化した結果生じたものです。私たちは完全に自由であり、創造の中で自分たちを「自分たち」として発見するのもしないのも思いのままです。この不当化こそ私たちが「源(source)ー始まりの瞬間」へ常につながろうとする力の背後に控えているものです。「始まりの瞬間」がその意識的無意識を通して、私たちにくつがえすことのできない自由を与えたということ、そして私たちは始まりの瞬間のビジョンの、かけがえのない一つの面であることに気づいたとき、私たちの苦難に満ちた探究の旅は終わります。
「始まりの瞬間」との関係性を知ることは、創造主を求める旅から自由にしてくれるのです。一度にこのことを知れば、私たちは自分の価値を認めることができ、空虚は聖なる意味で満たされていくことでしょう。私たちは自分自身を自分自身として表現できるようになります。創造の瞬間、私たちが自由に解き放たれたのでなければ、創造主は生きていくうえで頼りになる解放の力とはなりえないでしょう。この関係性を理解すれば、宇宙的な「価値の不当化」の傷に塩をすりこみ続けた、迷信や古めかしい教義から自由になります。私たちはなんらかの義務によって、始まりの瞬間にしばられていることは一切ありません。私たちが完全に解放されれば、創造主と創造されたものの間に永遠の関係が生まれることを保証します。この「叡知」があなたを自由にするのです。
私たちが創造されたときは、それぞれの能力や意志は平等ではなかったことを知ったとき、すべての批判や比較はストップします。それはこの次元であろうと他の次元であろうと同じです。この次元でのジャッジメントは人格を通して体験されますが、それは自己中心性が織りなす不透明のベールとなって、どの次元のリアリティにおいても本質を感じる能力を曇られてしまうのです。
ジャッジや葛藤を手放すことで、私たちは抑圧してきたすべての能力をその究極まで発揮することができます。そうなると五感の直感的側面を活かして、人生のすべての領域を自由に使うことができるようになります。眠っていた能力で創造の精妙な多次元構造をつかむことができるからです。
(ゲリー・ボーネル著「アトランティスの叡知」p.89-90)















































































































































































