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ユニバーサルマインドは、株式会社ノウイングのインストラクター中島志保が運営する叡智のスクールです

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宇宙には、「時間」というものは存在しません。過去から未来へと進む直線的な時間の感覚は、人間の集合意識から生まれています。

それではなぜ、「時間」というものが存在するのでしょうか?

それは、私たちが、この地球上で、次々と起こる物理的な出来事に対して、ひとつひとつレスポンス(応答)しているからです。

例をあげましょう。ある喫茶店に、ひとりの男性客がいます。その男性は、あまり会いたくない人と待ち合わせをしています。そしてその相手から、「車が渋滞していて、1時間遅れます」という連絡が入り、手持ちぶさたの状態で1時間待つことになったとします。そうすると、その男性にとって、その1時間はとても長く感じるかも知れません。また、同じ喫茶店に、男女のカップルがいます。そのカップルは、深く愛し合っていて、楽しく語り合っています。そうすると、そのカップルにとって、その1時間はとても短く感じるかも知れません。

このように、私たちは、同じ「1時間」という時間に対しても、自分が置かれた状況によって、長く感じたり、短く感じたりします。これもレスポンス(応答)のひとつです。

コーヒー

人間の集合意識の外に出ると、そこには「時間」というものはなく、すべてが「同時」に存在していることがわかります。

私たちは、この宇宙に、「瞬間」として存在しています。しかし、地球で生成された物理的な肉体の意識は、その「瞬間」として存在しているものをしっかりと認識するために、スローモーションのような連続性をもたせ、ひとつひとつを細分化させているのです。

このように、連続性をもたせたもの、あるいは、細分化されたものを、マクロな視点で見渡したとき、すべてのものは、1つの雛形から派生しているということがわかります。

アカシックレコードを読み解くということは、この世界にあるすべてのものの源泉をたどることでもあります。

宇宙

人生というのは、魂の旅路です。魂が旅をするためには、2つの方法があります。

それは、マクロの視点で旅をする方法と、ミクロの視点で旅をする方法です。

マクロの視点で旅をする方法というのは、明晰なビジョンをもって、直観的に生きることです。そして、自分の目の前にあらわれる出来事を、ひとつひとつ許可していくことも大事です。意識が拡大すればするほど、自分の目の前にあらわれる出来事が、肉体意識にとっては、まったく予測ができないものになっていきます。マクロの視点をもつ魂意識で生きるためには、ミクロの視点をもつ肉体意識と、常に密接な関係を築いていかなければなりません。

ミクロの視点で旅をする方法というのは、五感をベースにしたフィーリングをもって、感覚的に生きることです。ある時は心地よさを感じたり、ある時は不安や恐れを感じながら、一歩一歩、人生を前進させていくことです。

私たちは、マクロの視点とミクロの視点の両方のアプローチを取り入れて生きることができます。私たちは常に、自分にとってもっとも最善の方法で生きています。

海

あるレストランで、注文したお料理を食べたとき、とても美味しくて感動したのに、別の日に同じお料理を注文したら、あまり感動しなかったということがあります。

パスタ

私たちは、「自分がはじめて体験したこと」を、五感で記憶します。そして、次に同じ体験をするときは、過去に体験した記憶を引き出して、それを再体験しようとします。つまり、自分が体験したことを、もう一度体験するときは、リアルに体験するのではなく、最初に体験したものを五感のレベルで引き出して体験するのです。

私たちの肉体意識は、この世界で、常に安心安全の感覚を優先します。ですから、初めて体験したことを、五感の状態で脳に記憶し、プログラミングしたものを、次の体験に備えるのです。

私たちは、朝、目を開けた瞬間から、「自分が期待した世界」がそこに存在しています。いつもと同じ天井があり、いつもと同じカーテンがあり、ベッドから足を降ろすと、いつもと同じ床がある。そして、いつもと同じように着替え、朝食をとり、出かける。そして、いつもと同じ電車に乗り、いつもと同じ学校、あるいは会社に行く。

「自分が期待した世界」は、自分の脳をコントロールします。

寝ている間はフルに活動していた脳が、起きたとたん、安心安全のためにプログラミングした五感の記憶へと意識が切り替わり、それまで開いていた五感の感覚が閉じてしまいます。

このように、私たちの五感は、完全に「期待」に沿って働いているのです。

アカシックレコードにアクセスするためには、この「期待」によって働くプログラミングされた五感を中断させる必要があります。「期待」というものを超えた意識、すなわち、「いまここ」の状態を五感でフルに体験するということを、常に自分自身に保持していくことが大切です。

自分自身、あるいは、誰かのアカシックレコードに入って、ある特定の情報を探そうとするとき、そこでは、「2つのバージョン」の情報を見ることができます。1つは、その人の1つの転生(1つのタイムライン)というバージョンです。もう1つは、ある1つの瞬間に集積するすべての転生(すべてのタイムライン)というバージョンです。

この2つのバージョンを見ている「私」というのは、誰でしょうか?

「私」と意識しているものは、実は1つの意識ではなく、300~400回ほどの転生をもった意識です。この、たくさんの転生という膨大な情報をもった意識が、「私」と意識しているものです。そして、この大きな意識である「私」が、1つに統合されたとき、アカシックレコードの情報を見ることができます。このように、アカシックレコードは、1つの視点で見ていきます。

アカシックレコードに入るときは、自分の中にある特定のタイムライン(特定の転生)をすべて手放して、1つの視点になる必要があります。それは、今世のタイムラインも含めて、すべてのタイムライン(すべての転生)を手放すということです。このようにして得られた1つの視点というのは、真の観察者となります。そして、この世界にあるどのような情報も自由自在に集めることができます。

そうすると、自分自身がアカシックレコードそのものであることに気づきます。

青空

アカシックレコードに意識的にアクセスできるようになると、この世というものについてさまざまなことを知ることになります。

私たちは通常、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインに沿って生きています。しかし、アカシックレコードの次元に入ってみると、そこには「過去-現在-未来」といった時系列のタイムラインは存在しておらず、すべてが「同時進行」で起きていることがわかります。

実際に、「時間」というのはどうなっているのかというと、一本の直線になっているのではなく、毛糸玉のようになっていて、その糸と糸との接合点が、ひとつひとつの出来事として認識されている部分となっています。

例えば、いま、東京で会社員をしていて、ランチタイムの時間に同僚からバナナを1本もらったとします。そうすると、自分が過去世でフィリピンの王様だったときに、統治している村人の貢物としてバナナを献上されている瞬間にアクセスするかも知れません。あるいは、自分が過去世でインド人の乞食だったとき、道端でバナナをめぐんでもらった瞬間にアクセスするかも知れません。このように、「今」という一瞬一瞬の出来事が、たくさんの次元と接点を持っているのです。

アカシックレコードのような、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインが存在していない次元にアクセスすると、自分がこれから行おうと思っていること、あるいは、自分に降りかかるさまざまなアクシデントは、すべて、すでに終わっているものであるということがわかります。

自分自身が究極の「原因」となり、「無我の我」を表現する存在になれば、自分に降りかかるもの、すなわち、いかなるアクシデントも起きなくなくなります。

しかし、ここが難しい点でもあるのですが、アクシデントのない人生を望んでしまうと、そうなって欲しいという期待や希望が、逆に、不幸なアクシデントを引き起こします。

花

アカシックレコードには、レスポンス(response)という概念があります。

レスポンスというのは、自分の人生あるいは日常生活における「出来事」と、自分の「意識」とが出会ったときの、感覚を通して集められた情報の集合体です。この情報の集合体、すなわち「記憶されたもの」が媒体となって、さまざまな現象が起こります。

レスポンスは、外側の世界からの呼び声に応じる、私たちの内なる答えです。

ミクロな見方、すなわち、自分の肉体を通して外界を見る場合、出来事は「問い」であり、レスポンスはその「答え」です。マクロな見方、すなわち、魂の視点から外界を見る場合、出来事こそ「答え」であり、レスポンスが「問い」なのです。

この仕組みが分かれば、アカシックレコードに対する理解が深まります。

宇宙

私たちは、まだ覚醒していないときは、「ミクロの視点」で生きています。すなわち、次に何が起きるかということを知らず、一刻一刻、そして一日一日を、ひとつひとつ手探りをするように歩んでいきます。

例えば、ある若い男性が、自分の職業について、医者になろうか、起業家になろうかと迷い、医者になることを選んだとします。しかしそれは、その時に「選択」したわけではありません。その男性が医者になるということは、最初から自分の人生のライムラインに組み込まれていたものであり、迷った末に選択したものではありません。

私たちは本当は何も選択していないのです。すべては最初から決まっているのです。

私たちは、覚醒すると、何かを選択するということはなくなります。なぜなら、ひとつひとつの出来事から何かを発見したり学んだりするプロセスが終わり、物事を選択する必要がなくなるからです。

自分の目の前に起こることは、自分の内面にあるものが外側に具現化したものであり、それは単なるレスポンスに過ぎません。そういったことを完全に理解した状態で、「今」というこの瞬間だけを観察していく人生になります。

タイムライン

私たちの魂は、いくつもの転生を経て、いずれ完全に覚醒し、この地球を去ります。

そして、私たち人間の叡智によって、ヨガや瞑想をしたり、長期間の断食をしたり、人里離れた山奥に籠ったり、覚醒の状態に導くためのさまざまな方法が編み出されています。

このような覚醒に向かうプロセスを歩んでいるときは、たとえその修行が苦しいものであっても、『いま自分は覚醒に向かっているんだ』という安心感を持つことができます。なぜなら、自分が望む状態に到達するために、『いま自分は○○をやっている』ということが大きな慰めになるからです。

しかし、実際のところ、覚醒するためには、何もする必要はありません。

大切なことは、覚醒をどのくらい真に「意図」しているかということです。その意図した部分だけが、自分自身を覚醒の状態に導く真のプロセスとなります。

木漏れ日

9月19日に、このブログで、「時間軸汚染について」という記事を書きました。今日はその「時間軸汚染」について、具体的な例をひとつご紹介します。

例えば、あるアカシックリーダーが、あるひとりの人と出会ったとします。そして、双方が相手に対して好感を持ち、友だちになったとします。(この場合、異性でも同性でもどちらでもいいです)

そして、そのアカシックリーダーは、『その友だちとは、5年後には、友だちではなくなっている』という情報をアカシックレコードから受け取ったとします。そこで、そのアカシックリーダーは、アカシックレコードに、『なぜ5年後にはもう友だちではなくなっているのか?』という質問を投げかけてみると、『親しくなればなるほど、お互いの人生の目的が、まったく違うものであるということに気づくから』と書かれていたとします。そこでさらに、アカシックレコードに、『具体的にどのように、その友だちとは、人生の目的が違うのか?』という質問を投げかけてみると、『あなたは人生について深く探究したいタイプだけど、相手は深く探究するよりも新しいことをどんどん体験したいタイプだから』と書かれていたとします。それから、アカシックレコードに、『だんだん相手の存在が苦痛になってきて、5年以内に別れる』と書かれていたとします。

このあと、アカシックリーダーには、少なくとも2つの選択があります。

1つ目の選択:
この情報を知りつつも、この先に訪れるであろう別れの日まで、一緒に食事をしたり旅行をしたりして時間を過ごす。

2つ目の選択:
この情報を知った直後に、いずれ別れるということで、その友だちと会うことをやめる。

ここで、アカシックリーダーが、「2つ目の選択」を行動に移した場合、数ヶ月あるいは数日といった短い期間に、2人が別れる原因となる出来事がいくつも押し寄せてきて、自分も相手も、自我の部分が圧倒されるような感覚に陥ります。そして、息つくひまもなく押し寄せてくる出来事は、自分の細胞意識にデータを統合しようとする力を衰えさせます。これは、本来の自然な流れではありませんので、アカシックレコードの世界では、時間が歪曲されるとうい意味で、タイムラインポルーション(時間軸汚染)と呼んでいます。

砂時計

アカシックレコードにアクセスし、未来に起きる出来事を観察すると、その出来事がもたらす結果は変化し始めます。その現象を、タイムラインポリューション(Timeline pollution・時間軸汚染)と呼びます。

観察された未来の出来事は、そのまま起こりますが、その出来事によって引き起こされる結果が違ってきます。ですから、すべてが変更されてしまったように感じます。また、未来の出来事を知ることによって、それが実際に起こるタイミングもずれてきます。

宇宙

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