アカシックレコードに意識的にアクセスできるようになると、この世というものについてさまざまなことを知ることになります。

私たちは通常、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインに沿って生きています。しかし、アカシックレコードの次元に入ってみると、そこには「過去-現在-未来」といった時系列のタイムラインは存在しておらず、すべてが「同時進行」で起きていることがわかります。

実際に、「時間」というのはどうなっているのかというと、一本の直線になっているのではなく、毛糸玉のようになっていて、その糸と糸との接合点が、ひとつひとつの出来事として認識されている部分となっています。

例えば、いま、東京で会社員をしていて、ランチタイムの時間に同僚からバナナを1本もらったとします。そうすると、自分が過去世でフィリピンの王様だったときに、統治している村人の貢物としてバナナを献上されている瞬間にアクセスするかも知れません。あるいは、自分が過去世でインド人の乞食だったとき、道端でバナナをめぐんでもらった瞬間にアクセスするかも知れません。このように、「今」という一瞬一瞬の出来事が、たくさんの次元と接点を持っているのです。

アカシックレコードのような、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインが存在していない次元にアクセスすると、自分がこれから行おうと思っていること、あるいは、自分に降りかかるさまざまなアクシデントは、すべて、すでに終わっているものであるということがわかります。

自分自身が究極の「原因」となり、「無我の我」を表現する存在になれば、自分に降りかかるもの、すなわち、いかなるアクシデントも起きなくなくなります。

しかし、ここが難しい点でもあるのですが、アクシデントのない人生を望んでしまうと、そうなって欲しいという期待や希望が、逆に、不幸なアクシデントを引き起こします。

花