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ユニバーサルマインドは、株式会社ノウイングのインストラクター中島志保が運営する叡智のスクールです

2016年10月

アカシックレコードに意識的にアクセスできるようになると、この世というものについてさまざまなことを知ることになります。

私たちは通常、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインに沿って生きています。しかし、アカシックレコードの次元に入ってみると、そこには「過去-現在-未来」といった時系列のタイムラインは存在しておらず、すべてが「同時進行」で起きていることがわかります。

実際に、「時間」というのはどうなっているのかというと、一本の直線になっているのではなく、毛糸玉のようになっていて、その糸と糸との接合点が、ひとつひとつの出来事として認識されている部分となっています。

例えば、いま、東京で会社員をしていて、ランチタイムの時間に同僚からバナナを1本もらったとします。そうすると、自分が過去世でフィリピンの王様だったときに、統治している村人の貢物としてバナナを献上されている瞬間にアクセスするかも知れません。あるいは、自分が過去世でインド人の乞食だったとき、道端でバナナをめぐんでもらった瞬間にアクセスするかも知れません。このように、「今」という一瞬一瞬の出来事が、たくさんの次元と接点を持っているのです。

アカシックレコードのような、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインが存在していない次元にアクセスすると、自分がこれから行おうと思っていること、あるいは、自分に降りかかるさまざまなアクシデントは、すべて、すでに終わっているものであるということがわかります。

自分自身が究極の「原因」となり、「無我の我」を表現する存在になれば、自分に降りかかるもの、すなわち、いかなるアクシデントも起きなくなくなります。

しかし、ここが難しい点でもあるのですが、アクシデントのない人生を望んでしまうと、そうなって欲しいという期待や希望が、逆に、不幸なアクシデントを引き起こします。

花

Edward_Bach

本当の知識というものは、必ず心の内側からもたらされます。そしてそれは、魂との静かな交流によって授けられます。

宗教上の教えや社会の決まりごとは、心の静けさを奪い、私たちはみな、心の内側で「すべてを知っている」ということを忘れさせてしまいます。そして、他の人から教えてもらわなければならないと思うようになり、自らの霊的な自己は覆い隠されてしまいます。

ドングリの実は、生まれた木から何千キロも離れたところに運ばれて、誰に教えてもらわなくても、完璧なオークの木になるすべを知っています。海や川にいる魚は、産卵のあと、その場を泳いで去っていきます。カエルも同じです。ヘビは砂の中に卵を産み、生命の旅を続けます。このドングリ、魚やカエルの卵、そしてニワトリの卵の中に、子が親と同じように成長するために必要な知識が必ず備わっています。また、若いツバメは、親から何も教えられなくても、何千キロも離れた冬の住処に渡る筋道を自分で見つけ出すことができます。

私たちは、「自分の内側にこそ真理がある」という自覚を取り戻すことが必要です。私たちは、自分の心の奥深くに問うていく以外、助言も教示も一切必要ないことを思い出さなければなりません。

キリストは、野のユリは、苦労せずとも、人間の作り上げるどんな栄華の極みよりも完璧に美しい花を咲かせるということを示しました。またブッダは、人は宗教上の教えから解放されて初めて自己実現への道を歩むことを教えています。(エドワード・バッチ著作集p.50より)

植物


エドワード・バッチ著作集―フラワーレメディーの真髄を探る

花

聖フランチェスコの平和の祈り
Prayer of Saint Francis

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところに、愛を置かせてください。
侮辱のあるところに、許しを置かせてください。
分裂のあるところに、和合を置かせてください。
誤りのあるところに、真実を置かせてください。
疑いのあるところに、信頼を置かせてください。
絶望のあるところに、希望を置かせてください。
闇のあるところに、あなたの光を置かせてください。
悲しみのあるところに、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるよりも理解し、
愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜなら、与えることで人は受け取り、消えることで人は見出し、
許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

アッシジの聖フランチェスコ
Saint Francis of Assisi(1182-1226)

聖フランチェスコ
The Sermon to the Birds(Giotto)

アカシックレコードには、レスポンス(response)という概念があります。

レスポンスというのは、自分の人生あるいは日常生活における「出来事」と、自分の「意識」とが出会ったときの、感覚を通して集められた情報の集合体です。この情報の集合体、すなわち「記憶されたもの」が媒体となって、さまざまな現象が起こります。

レスポンスは、外側の世界からの呼び声に応じる、私たちの内なる答えです。

ミクロな見方、すなわち、自分の肉体を通して外界を見る場合、出来事は「問い」であり、レスポンスはその「答え」です。マクロな見方、すなわち、魂の視点から外界を見る場合、出来事こそ「答え」であり、レスポンスが「問い」なのです。

この仕組みが分かれば、アカシックレコードに対する理解が深まります。

宇宙



覚悟の力
宮本祖豊
致知出版社
2014-10-30


「覚悟の力」は、比叡山に1200年伝わる十二年籠山行(ろうざんぎょう)に挑戦し、20年の歳月をかけて満行した宮本祖豊(みやもとそほう)氏の著書です。

この本では、比叡山でもっとも厳しい修行のひとつと言われている十二年籠山行のようすが詳しく書かれています。しかし、単に厳しい修行のようすを紹介したものではありません。宮本祖豊氏は、『自分の中に無常観がある。一寸先は闇でいつ死が訪れるかわからない。それに対して自分の精神のレベルをもっと上げていきたい』という思いで修行に入り、時には死を覚悟しながらも、修行の間、そこで見えてくるものは何なのか、そして何のために修行をするのかといった内面的な部分に意識を向けていったプロセスを綴っています。

そして、十二年籠山行を満行して至った境地について、次のように語っています。

「生きていくための原動力は『無常』にあることは確かです」

「今日一日、いま一瞬を見つめ、これをどうやって生きるかがすべてなのです」

「自分の心を見るものは、宇宙すべてを見るものと同じなのです。ありのままに自分の心を知ることが、すべてを知ることなのです。

「修行の最中に、自分が宇宙と一体化する感覚になったことがあります。我というものが残っている限り、目の前には仏様は立ちません。無の境地にならなくてはいけないのです。それは自我というものがなくなって初めて至る境地です。そして自我がなくなってくると、個というものもなくなります。個がなくなるとどうなるでしょうか。自らの意識が地球いっぱい、宇宙いっぱいにまで広がるのです。そのとき初めて、人間というのは小さな個の中に限定された存在ではないのだと、はっきりと悟ることができました」


十二年間山に籠るという覚悟を決め、満行した宮本氏の言葉は、穏やかさに満ちているだけではなく、千言万語を費やしても語れない説得力に満ちています。

山道


《魂の暗い夜》
十字架の聖ヨハネ

*

この幸いな夜に、

誰にも見られず、何も見ないで、

ひそかに私は出ていった、

心に燃え立つ光の他には

何の光の導きもなしに。

*

Noche oscura del alma
(San Juan de la Cruz)

*
En la noche dichosa,
en secreto, que nadie me veia
ni yo miraba cosa,
sin otra luz guia
sino la que en el corazon ardia.


キャンドル

十字架の聖ヨハネ(Juan de la Cruz, 1542-1591)は、スペインのカトリック司祭で、神秘思想家でもあります。

十字架の聖ヨハネ

十字架の聖ヨハネは、『魂の暗い夜』(Noche oscura del alma/Dark Night of the Soul)という著作を残しました。

『暗の暗い夜』では、「神との一致にいたるまでのプロセス」が、8編の詩の形式で表現されています。そして、キリスト教を信仰している人だけではなく、多くの人々の心に響いた著作となりました。

暗夜
ファン・デ・ラ・クルス
ドン・ボスコ社
1987-12

私たちは、まだ覚醒していないときは、「ミクロの視点」で生きています。すなわち、次に何が起きるかということを知らず、一刻一刻、そして一日一日を、ひとつひとつ手探りをするように歩んでいきます。

例えば、ある若い男性が、自分の職業について、医者になろうか、起業家になろうかと迷い、医者になることを選んだとします。しかしそれは、その時に「選択」したわけではありません。その男性が医者になるということは、最初から自分の人生のライムラインに組み込まれていたものであり、迷った末に選択したものではありません。

私たちは本当は何も選択していないのです。すべては最初から決まっているのです。

私たちは、覚醒すると、何かを選択するということはなくなります。なぜなら、ひとつひとつの出来事から何かを発見したり学んだりするプロセスが終わり、物事を選択する必要がなくなるからです。

自分の目の前に起こることは、自分の内面にあるものが外側に具現化したものであり、それは単なるレスポンスに過ぎません。そういったことを完全に理解した状態で、「今」というこの瞬間だけを観察していく人生になります。

タイムライン

セージ・スモークレスミストスプレー
Sacred Sage Smokeless Mist

~セッションの前や後に使えるホワイトセージの浄化スプレー~

ホワイトセージスプレー














商品名:セージスモークレスミストスプレー120ml
製造元:製造元:メディスンフラワー社(アメリカ)/Medicine Flower(USA)
価格:4,900(税込)
※ユニバーサルマインドで販売しています。

セッションの前や後に空間を浄化するために使えるホワイトセージのスプレーです。セージを炊くことができないスペースを浄化することができます。アメリカのネイティブインディアンは、何千年もの間、自分たちの住居や儀式のスペース、あるいはヒーリングを行う場所などを浄化するために、ホワイトセージや杉の煙を使用してきました。メディスンフラワー製セージ・スモークレスミストスプレーは、たくましく成長した野生のホワイトセージを手摘みで採取し、湿気のない大地で太陽のエネルギーをたっぷり浴びて乾燥させたものを、浄化力が知られる他の薬草とブレンドし、便利な霧吹き式のボトルに詰めたものです。パワフルな浄化作用を持っていますので、スプレーすることによって、セージの煙と同じように空間を浄化することができます。また、ストレスやネガティブなエネルギーを解放してくれます。

【内容】
水、アルコール、ホワイトセージ、ジュニパー(セイヨウバクシン)、杉、その他エッセンシャルオイル、野菜から作った天然乳化剤


ホワイトセージ White Sage
ホワイトセージ








ホワイトセージは、シソ科アキギリ属の多年草または常緑低木で、おもにカリフォルニアで原生しています。ハーブの中でも特に神聖な植物とされ、ホワイトグレーの葉は強力な浄化力を持っています。

※この商品に関するお問合せは、こちらのお申込みフォームからご連絡下さい。

私たちの魂は、いくつもの転生を経て、いずれ完全に覚醒し、この地球を去ります。

そして、私たち人間の叡智によって、ヨガや瞑想をしたり、長期間の断食をしたり、人里離れた山奥に籠ったり、覚醒の状態に導くためのさまざまな方法が編み出されています。

このような覚醒に向かうプロセスを歩んでいるときは、たとえその修行が苦しいものであっても、『いま自分は覚醒に向かっているんだ』という安心感を持つことができます。なぜなら、自分が望む状態に到達するために、『いま自分は○○をやっている』ということが大きな慰めになるからです。

しかし、実際のところ、覚醒するためには、何もする必要はありません。

大切なことは、覚醒をどのくらい真に「意図」しているかということです。その意図した部分だけが、自分自身を覚醒の状態に導く真のプロセスとなります。

木漏れ日

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