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ユニバーサルマインドは、株式会社ノウイングのインストラクター中島志保が運営する叡智のスクールです

脳下垂体(The Pituitary Gland)-第三の目のチャクラ(The Brow Chakra)

目覚めるとテレパシー通信ができる

脳下垂体は、休眠状態の器官で、目覚めるとテレパシーによる伝達ができるようになります。脳下垂体は、ヨガや霊的な世界では、アジナチャクラまたは第三の目のチャクラと呼ばれています。大きさは豆つぶほどで、トルコ鞍(あん)とよばれる骨でできた構造体の中にあり、脳の基底部に位置しています。トルコ鞍は脳下垂体を保護していますが、拡大していくためのゆとりがありません。

脳下垂体は他の内分泌腺のほとんどの機能を制御しています。従って、時には「マスター分泌腺」(Master Gland)と呼ばれることがあります。脳下垂体自身は、その大部分を脳下垂体のすぐ上部にある視床下部に制御されています。脳下垂体が制御する分泌腺から出るホルモンの量をチェックすることで、視床下部や脳下垂体は、その分泌腺をどの程度活性化すればよいのかを決定します。

脳下垂体と松果体


第7チャクラ(The Seventh Chakra) -クラウンチャクラ(The Crown Chakra)-サハスーラー・チャクラ(Sahasrara)

オーロラのようなエネルギーの輝きを放つ

神秘学的には、このエネルギーセンターの色は、バイオレットからライラック色、覚醒した人のクラウンチャクラは金(ゴールド)から白色をしています。頭頂部に位置し、ほとんどがオーロラのようなエネルギーの輝きを身体から上に向かって放射しています。クラウンチャクラの影響は、脳下垂体と大脳皮質で感知されます。クラウンチャクラのハーモニクスは中枢神経系を通して肉体に放射され、骨格や筋肉の柔らかい組織、結合組織や皮膚に影響を与えます。他のチャクラと整合しバランスが取れると、私たちは普遍的なワンネス、そして神聖なる源との深いつながりを体験します。このセンターがバランスを崩すと、鬱状態や頭痛、筋肉や骨格系の疾患、皮膚の疾患の原因となり得ます。


脳下垂体と松果体


松果体(The Pineal Gland)-クラウンチャクラ(The Crown Chakra)

脳内の奥深くに位置する「魂の座」

松果体は、脳の中央にある8ミリほどの小さな内分泌腺で、メラトニンを分泌します。メラトニンは、睡眠と目覚めのパターンを調節するホルモンです。小さな松ぼっくりのような形で左右の脳半球の間にあり、丸みを帯びた左右の視床体が結合する溝の部分にはさみこまれています。松果体は赤みを帯びた灰色で、上丘(じょうきゅう)の上、視床髄条(ししょうずいじょう)の後ろ下部、横に並ぶ視床体の間にあります。視床上部の一部です。


脳下垂体と松果体

松果体が内分泌器であることがわかったのは比較的最近のことです。脳内の奥深くに位置するために、歴史上の思想家たちは、松果体には何か特別の重要な機能があるのではないかと考えてきました。そのため神話や迷信、形而上学的な理論に満ちた「神秘の腺」として、語られてきたのです。

デカルトは松果体を「魂の座」と呼びました。彼は松果体が知性と肉体をつなぐポイントだと信じていました。左右対称の脳の解剖学からいっても1つしかない松果体の独特な構造も彼の信念の根拠のひとつでした。しかしデカルトの観察は正確ではありません。顕微鏡で松果体を見ると、やはり繊細な2つの半球に分かれているのです。また別の理論では、松果体は流体を放出する弁として働いているのではないかと言われてきました。思索にふけるとき、人が頭を下げて手で支えるのは、この弁を開くためというわけです。

アカシックレコードに意識的にアクセスできるようになると、この世というものについてさまざまなことを知ることになります。

私たちは通常、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインに沿って生きています。しかし、アカシックレコードの次元に入ってみると、そこには「過去-現在-未来」といった時系列のタイムラインは存在しておらず、すべてが「同時進行」で起きていることがわかります。

実際に、「時間」というのはどうなっているのかというと、一本の直線になっているのではなく、毛糸玉のようになっていて、その糸と糸との接合点が、ひとつひとつの出来事として認識されている部分となっています。

例えば、いま、東京で会社員をしていて、ランチタイムの時間に同僚からバナナを1本もらったとします。そうすると、自分が過去世でフィリピンの王様だったときに、統治している村人の貢物としてバナナを献上されている瞬間にアクセスするかも知れません。あるいは、自分が過去世でインド人の乞食だったとき、道端でバナナをめぐんでもらった瞬間にアクセスするかも知れません。このように、「今」という一瞬一瞬の出来事が、たくさんの次元と接点を持っているのです。

アカシックレコードのような、「過去-現在-未来」という時系列のタイムラインが存在していない次元にアクセスすると、自分がこれから行おうと思っていること、あるいは、自分に降りかかるさまざまなアクシデントは、すべて、すでに終わっているものであるということがわかります。

自分自身が究極の「原因」となり、「無我の我」を表現する存在になれば、自分に降りかかるもの、すなわち、いかなるアクシデントも起きなくなくなります。

しかし、ここが難しい点でもあるのですが、アクシデントのない人生を望んでしまうと、そうなって欲しいという期待や希望が、逆に、不幸なアクシデントを引き起こします。

花

Edward_Bach

本当の知識というものは、必ず心の内側からもたらされます。そしてそれは、魂との静かな交流によって授けられます。

宗教上の教えや社会の決まりごとは、心の静けさを奪い、私たちはみな、心の内側で「すべてを知っている」ということを忘れさせてしまいます。そして、他の人から教えてもらわなければならないと思うようになり、自らの霊的な自己は覆い隠されてしまいます。

ドングリの実は、生まれた木から何千キロも離れたところに運ばれて、誰に教えてもらわなくても、完璧なオークの木になるすべを知っています。海や川にいる魚は、産卵のあと、その場を泳いで去っていきます。カエルも同じです。ヘビは砂の中に卵を産み、生命の旅を続けます。このドングリ、魚やカエルの卵、そしてニワトリの卵の中に、子が親と同じように成長するために必要な知識が必ず備わっています。また、若いツバメは、親から何も教えられなくても、何千キロも離れた冬の住処に渡る筋道を自分で見つけ出すことができます。

私たちは、「自分の内側にこそ真理がある」という自覚を取り戻すことが必要です。私たちは、自分の心の奥深くに問うていく以外、助言も教示も一切必要ないことを思い出さなければなりません。

キリストは、野のユリは、苦労せずとも、人間の作り上げるどんな栄華の極みよりも完璧に美しい花を咲かせるということを示しました。またブッダは、人は宗教上の教えから解放されて初めて自己実現への道を歩むことを教えています。(エドワード・バッチ著作集p.50より)

植物


エドワード・バッチ著作集―フラワーレメディーの真髄を探る

花

聖フランチェスコの平和の祈り
Prayer of Saint Francis

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところに、愛を置かせてください。
侮辱のあるところに、許しを置かせてください。
分裂のあるところに、和合を置かせてください。
誤りのあるところに、真実を置かせてください。
疑いのあるところに、信頼を置かせてください。
絶望のあるところに、希望を置かせてください。
闇のあるところに、あなたの光を置かせてください。
悲しみのあるところに、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるよりも理解し、
愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜなら、与えることで人は受け取り、消えることで人は見出し、
許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

アッシジの聖フランチェスコ
Saint Francis of Assisi(1182-1226)

聖フランチェスコ
The Sermon to the Birds(Giotto)

アカシックレコードには、レスポンス(response)という概念があります。

レスポンスというのは、自分の人生あるいは日常生活における「出来事」と、自分の「意識」とが出会ったときの、感覚を通して集められた情報の集合体です。この情報の集合体、すなわち「記憶されたもの」が媒体となって、さまざまな現象が起こります。

レスポンスは、外側の世界からの呼び声に応じる、私たちの内なる答えです。

ミクロな見方、すなわち、自分の肉体を通して外界を見る場合、出来事は「問い」であり、レスポンスはその「答え」です。マクロな見方、すなわち、魂の視点から外界を見る場合、出来事こそ「答え」であり、レスポンスが「問い」なのです。

この仕組みが分かれば、アカシックレコードに対する理解が深まります。

宇宙



覚悟の力
宮本祖豊
致知出版社
2014-10-30


「覚悟の力」は、比叡山に1200年伝わる十二年籠山行(ろうざんぎょう)に挑戦し、20年の歳月をかけて満行した宮本祖豊(みやもとそほう)氏の著書です。

この本では、比叡山でもっとも厳しい修行のひとつと言われている十二年籠山行のようすが詳しく書かれています。しかし、単に厳しい修行のようすを紹介したものではありません。宮本祖豊氏は、『自分の中に無常観がある。一寸先は闇でいつ死が訪れるかわからない。それに対して自分の精神のレベルをもっと上げていきたい』という思いで修行に入り、時には死を覚悟しながらも、修行の間、そこで見えてくるものは何なのか、そして何のために修行をするのかといった内面的な部分に意識を向けていったプロセスを綴っています。

そして、十二年籠山行を満行して至った境地について、次のように語っています。

「生きていくための原動力は『無常』にあることは確かです」

「今日一日、いま一瞬を見つめ、これをどうやって生きるかがすべてなのです」

「自分の心を見るものは、宇宙すべてを見るものと同じなのです。ありのままに自分の心を知ることが、すべてを知ることなのです。

「修行の最中に、自分が宇宙と一体化する感覚になったことがあります。我というものが残っている限り、目の前には仏様は立ちません。無の境地にならなくてはいけないのです。それは自我というものがなくなって初めて至る境地です。そして自我がなくなってくると、個というものもなくなります。個がなくなるとどうなるでしょうか。自らの意識が地球いっぱい、宇宙いっぱいにまで広がるのです。そのとき初めて、人間というのは小さな個の中に限定された存在ではないのだと、はっきりと悟ることができました」


十二年間山に籠るという覚悟を決め、満行した宮本氏の言葉は、穏やかさに満ちているだけではなく、千言万語を費やしても語れない説得力に満ちています。

山道


《魂の暗い夜》
十字架の聖ヨハネ

*

この幸いな夜に、

誰にも見られず、何も見ないで、

ひそかに私は出ていった、

心に燃え立つ光の他には

何の光の導きもなしに。

*

Noche oscura del alma
(San Juan de la Cruz)

*
En la noche dichosa,
en secreto, que nadie me veia
ni yo miraba cosa,
sin otra luz guia
sino la que en el corazon ardia.


キャンドル

十字架の聖ヨハネ(Juan de la Cruz, 1542-1591)は、スペインのカトリック司祭で、神秘思想家でもあります。

十字架の聖ヨハネ

十字架の聖ヨハネは、『魂の暗い夜』(Noche oscura del alma/Dark Night of the Soul)という著作を残しました。

『暗の暗い夜』では、「神との一致にいたるまでのプロセス」が、8編の詩の形式で表現されています。そして、キリスト教を信仰している人だけではなく、多くの人々の心に響いた著作となりました。

暗夜
ファン・デ・ラ・クルス
ドン・ボスコ社
1987-12

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